日本にもたらされた南宋文化

承天寺は博多駅にも近いという立地条件の為、博多駅移転にともなう区画整理で、境内が道路で分断されてしまいました。そこで、この歴史的に価値ある地域を魅力あるものにしようと、官民一体となって建設されることになったのが「博多千年門」です。

かつて博多から大宰府政庁へ延びる官道に存在した「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」を再現。中世博多の寺社様式を用いて復活しました。

板材には、太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟(せんねんぐす)」を用い、揮毫(きごう)は菅原道真の子孫にあたる太宰府天満宮宮司によるものです。

お寺を分断している道は承天寺通りと名付けられ、車道を小川に、歩道をその川岸の遊歩道に見立てた造りとなって、承天寺の仏殿と方丈を結ぶ石畳は石橋をイメージして整備されています。

お墓に繋がる門は通れなくなっていたので別の門から入ります。

こちらは大丈夫でした、中に入るとよく手入れされた素晴らしい庭園がお出迎えしてくれます。

いきなり3体の石碑がお出迎え。

それぞれの石碑に詳しい解説があります、英訳もあるのは親切ですね。和のテイストが多い庭園は外国人観光客が喜びそうな雰囲気です。

弥三右衛門 の碑

満田弥三右衛門は円爾の随行者として、宋に渡った人物です。6年間滞在して「織物」・「朱」・「素麺」・「箔」・「香丸」の5つの製法を取得し帰国しました。「織物」は非常に高度な技術を要する広東織の秘伝を習得していた為、家伝と定め、これが今日の博多織になっています。博多織以外の文化も、日本文化に大きな影響を与えたものを持ち帰っていますね。

饂飩蕎麦発祥之地の碑

うどんとそばの発祥の地として有名ですね。正確には水車を利用した製粉技術を記した設計図を、円爾が宋から持ち帰り、この挽き臼技術による粉をベースにした麺の製法を伝えたそうです。うどんやそばは様々な地域で愛されるご当地グルメなので、各地域が元祖を名乗り諸説ありますが、歴史的な経緯を考えると、国際貿易港だった博多に最初に伝わったのが自然でしょうね。

御饅頭所の碑

円爾は饅頭の製法も持ち帰っています。博多の町で托鉢していたときに、親切にしてくれた茶店の主人に製法を教えたのが始まりです。教えた饅頭は「甘酒饅頭」。また羊羹の作り方も伝えたそうで、茶道の発展とともに全国に広がりました。ちなみにこのお店の看板は現存しており、羊羹で有名なとらやさんが大切に保管されています。⇒とらや公式サイトへ(別タブが開きます)

庭園はよく整備されており、入場料もかかりません。博多駅からも徒歩圏内なので観光にもおすすめです。

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