港機能もある宿

長崎街道の彼杵宿跡に行ってきました。
平戸市田平日の浦へ向かう平戸街道(約60㎞)の起点でもあり、港機能も要した 彼杵宿の賑わいは格別だったそうです。

国道205号沿いにある東彼杵町役場ソバの住宅道路がメインストリートです。ちらほら昔ながらの商店がポツリ、ポツリと立地しています。

役場側から歩く

100mほど進むと本陣と脇本陣跡があります。本陣跡は現在、彼杵神社になっています。本陣は大名や幕府役人ら身分が高い者が宿泊した施設です

彼杵神社
本陣跡
本陣推測図
拝殿

脇本陣は本陣だけでは泊まりきれない場合や複数の藩が鉢合わせした場合に使用される宿です。格式が低い藩の方が脇本陣を使用しなければいけないため、参勤交代ではどの藩も他藩との同座を敬遠したそうです。

脇本陣跡

案内板よると、この脇本陣跡は商家の一部を本陣の機能を補完する旅館として使用されていたとか。
1752年、改築されて脇本陣に指定して、上級武士の宿泊所として利用したそうです。

脇本陣推測図

思案橋と書かれた石碑がありました。道路の色のコンクリート下には白井川が流れていて、この川に思案橋がかかっていたそうです。橋周辺が宿の中心で、最盛期の幕末期には約300の商家が軒をつらねていたとかか。 この近くに彼杵港があります。往時は鯨猟が盛んで、この船着き場から多くの鯨が九州各地に届けられていたそうです。

左は平戸街道の起点、右は長崎街道
彼杵港
大村湾を望む

散策しても、かつてにぎわった宿場の面影を残すものは、ほぼ見当たりませんでした。
しかし、彼杵港の風景は往時とほぼ変わっていないそうです。

案内番より。ドイツ人医師シーボルトが江戸参府の際、川原慶賀に描かせた彼杵港
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