薩長同盟を起草した筑前勤王党

ふくろうの森を抜けてけやき通りに向かって歩いていると、月形洗蔵の居宅跡がありました。この月形洗蔵という人物をご存知でしょうか?月形洗蔵は幕末の黒田藩で「筑前勤王党」の中心として活躍した人物です。

幕末に起きた日本の歴史の転換点「薩長同盟」は、坂本龍馬・中岡慎太郎の功績と思われがちですが、草案は月形洗蔵ら筑前勤王党が起草したといわれています。薩長同盟は非常に多くの人が関わって、連帯の結果成し遂げられたものなので、特定の誰々の手柄という訳ではありません。

演劇作品「月形半平太」のモデルになった人物だといえば、少しピンとくる方もいるかもしれません。主人公の月形半平太という名前は、勤王の志士として有名だった月形洗蔵と武市半平太を合体させたものだと言われています※諸説あります。舞台でのセリフ「春雨じゃ 濡れていこう」のセリフは有名ですよね。

月形洗蔵は100石取の藩需・朱子学者の月形深蔵の長男として、早良郡追廻新屋敷に生まれました。古地図で確認すると、長屋のような建物に確かに月形の名前が確認できますね。

尊王攘夷運動

22歳で家督を継いで馬廻組に属し、筑前大島(現宗像市)定番などを務めましたが、尊皇攘夷運動に身を投じる為、早々に辞職してしまいます。桜田門外の変が起こり、全国的に尊王攘夷運動が過熱してくる最中、保守的な態度の藩主・黒田長溥に向け、父や同志と連名で過激な藩政改革案の建白書を提出します。内容は参勤交代の中止や、尊王攘夷・改革路線への転換を迫りました。

藩主・黒田長溥

その後、さらに追い打ちをかけるように藩の汚職を批判する建言を行い、藩主の逆鱗に触れてしまいます。藩政を批判し混乱させたとして、家禄没収のうえ、父は蟄居、月形本人は御笠郡古賀村(福岡県筑紫野市古賀)に幽閉されてしまいました(辛酉の獄)。つづく

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