後世の学問に大きな影響を与えた著作の数々

前回までの話はこちらから)良き理解者を得て、順調に藩の職務を遂行していた損軒(益軒)。さらに黒田家の家伝作成の大仕事が言い渡されます。初代黒田長政と藩祖孝高(如水)の業績を体系化して書物としてまとめる仕事ですが、実は昔から黒田氏関係の資料を集め調べていた損軒には適役の仕事でした、驚きの速さで編纂をすすめます。

黒田親子

制作した書物は「黒田家譜と名付けられ、そして第一級の歴史書として現代に残っています。こちらの内容は福岡県立図書館で公開されています。

歴史家としてはこの他、黄門様で有名な水戸光圀公の「大日本史」の資料集めを手伝った記録が残っています。この時、黒田家に派遣されたのは「助さん格さん」で有名な佐々木助三郎です。意外な接点ですよね。 損軒先生の助力に大変感謝して、その後も交流は続いたようです。

筑前国続風土記

そして、歴史書の編纂をしながら藩には、領地の風土記を作成したいと願い出て、許可が下りる前から独自に調査を開始します。特にこの風土記の作成には特別な思い入れがあったようで、養子に向かい入れた甥の好古を助手として、名所旧跡をはじめ、神社仏閣、町村名、広さ、人口、戸数、歴史や伝承、船の数から牛馬の数までマニアックな情報を調べ上げています。そして熱意に押されたのか、後年正式に藩から制作の許可が下りました。

約16年の歳月をかけまとめられた、膨大な書物は「筑前国続風土記」と名付けられ、貝原益軒の代表作として後世に残りました。「続」というのは奈良朝の官命でつくられた『風土記』の続編という意味が込められています。

この書物の内容は中村学園大学のサイトで公開されています。興味のある方はのぞいてみてください。

大和本草

マルチな才能は、老齢になるにつれ花開いて行きます。日本最高峰の生物学書であり、さらに農学書としても評価された「大和本草」の制作にも取り組んでいます。独自の分類を考案し編纂、収載された大作です。あのシーボルトが「東洋のアリストテレスだ!」と絶賛した本です。

養生訓

そして晩年には一般向けの健康の心得書として、広く人々に愛読された「養生訓」を発行しました。実体験に基づき健康法を解説した書で、作者が当時としては異例な高齢の83歳ということで、大変な説得力があったようで、大ベストセラーになります。現在でも多くの出版社から、原文付き現代語版や解説書などが出版されています。

貝原益軒像

調べるほどに偉大さを感じる貝原先生。そんな先生のお墓は、西新駅から徒歩5分ほどの金龍寺にあります。大きなお寺ですが、先生の銅像が建っているので遠目からでも分かりました。

参拝者が多いのでしょう、立派な案内石碑もあります。

貝原益軒の墓

最愛の夫人と仲睦まじく並んで墓石が建っていました。

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