出島の核となるカピタン(オランダ商館長)部屋

前回までの話はこちらから)第2期復元事業では、水門、カピタン部屋(商館長居宅)、乙名部屋、三番蔵、拝礼筆者蘭人部屋の5棟を復元。このほか南側護岸石垣の復元と練塀の整備を行いました。

カピタン部屋は出島で最も大きな建物です。使用されていた出島で最も大きな建物。日本の役人や大名が訪れた際に、接待の場所ともなりました。

2階
2階
1階は展示室

カピタン部屋の向かいには、帳簿などの筆記を行うオランダ人の書記の長が住んでいた拝礼筆者蘭人部屋(蘭学館)があります。書記長の部屋は2階で1階は何に使われていたか不明です。調査では水槽状の施設や排水溝などの遺構、土中からは水銀が検出されており、工房や医療関係などの特殊な仕事をしていた可能性があるそうです。

江戸時代に出島柱の親柱の一部と伝わる旧出島橋親柱。くり抜かれて灯籠として転用された痕跡があります

拝礼筆者蘭人部屋の隣は三番蔵。主に輸入した砂糖を収め、管理していました。砂糖は台湾から輸入がはじまり、後にインドネシアから入ってきました。

三番蔵

カピタン部屋の奥に建つのが乙名部屋です。日本側の貿易事務や管理をしていた地元長崎の役人である乙名や阿蘭陀通詞など、出島に出入りする役人の詰め所でした。出島乙名は出島を築造した際に出資した出島町人から選ばれましたが、後に町の乙名から選ばれるようになり、定員は当初1人で、1696年から2人になりました。

乙名部屋