頭山満の人物評~西郷の後は〇、〇、〇~

古本屋でとても興味深い雑誌を見つけたので、購入しました。「キング1935年5月号」。あの頭山満と明治から昭和にかけての宗教家の出口王仁三郎との対談を掲載しています。キングは大日本雄辯會講談社(現・講談社)が1924年11月に創刊し、出版史上初めて100万部を突破した国民的雑誌です。

キング1935年5月号

記事では頭山が西郷隆盛、伊藤博文、大隈重信などについて語っています。一部を引用して政治結社「玄洋社」の総帥・頭山満の人物評を紹介します。

伊藤、大隈の優劣

記者 (前略)先生がお会ひになった人物の中で、之はと思召される方は誰方でございますか。
頭山
 私の知っている人は大概亡くなってしまうた。
記者 伊藤公は?
頭山 伊藤は最も優れた秀才だった。
記者 大隈侯は?
頭山
 大隈もなかなか傑物。
記者 伊藤公と大隈侯と何うでございませうか。
頭山 ……中江篤介(兆民)が言っとった。大隈、伊藤に優劣はない。強ひて求むれば、大隈の方が一段上である。伊藤は才子利巧の頭目で、あの境涯としてはあれ以上の者はない。大隈は才子よりは一段上の豪傑の境涯に居るが、その境涯では一番ドン底だ。だから、二人はくっついている―伊藤は才子の大王なるが故に豪傑の気あり、大隈は豪傑のドン底なるが故に才もある、二人には共通のところがある。

「才子」のカテゴリーの上に「豪傑」のカテゴリーがあるとすると、伊藤博文は才子に入り、その中では上。大隈重信は「豪傑」のカテゴリーに属するけども、一番下なので、大差はないということですね。面白い表現ですね。

三大人物=西郷、勝、副島

記者 大隈公、伊藤公以上の人物がございませうか。
頭山 西郷、勝、副島。
記者 副島―副島伯はさうでございますか、副島伯の直情豪胆等の噂は伺って居りましたが。
頭山 全く至誠の人でした。英国の公使で、大分難しかったパークス、あれは岩倉や大久保などは何とも思って居なかったが、副島には余程尊敬を持って居った。大隈も副島にはまるで子供扱ひにされて居った。西郷従道の話に、副島が大隈を叱るのを聞いていると、全く気の毒な位だといって居った。尤も年も違ふし、漢学位は大隈は副島に教ったらしい。
記者 西郷さんは?
頭山 段ちがひ……。
記者 至誠の外に。
頭山 頭がよかった。
記者 板垣伯は。
頭山 板垣には私は推服して居りました。
記者 さうすると、段階でいへば、西郷-木戸―大久保―それから……。
頭山 いや、西郷―〇、〇、〇―木戸―大久保。
記者 西郷の次は〇、〇、〇ですか。木戸、大久保も西郷へ直ぐにはつづかない。西郷さん一人は図抜けて傑れて居ったのですね。
頭山 品川もさう言って居った。さすがの大久保でも西郷といふと、親指(親爺の意味)を出して、これがこれがといって居ったと。理窟や議論をいふと、板垣は余程秀でて居ったが、西郷に向ふと、一言でこはされてしまったと、板垣が自分でもさういって居った。

やはり大西郷と敬愛していた頭山だけに、別格中の別格だったんでしょうね。大隈ー伊藤のよう直ちに続かないのが面白いですね。西郷の後には〇(ゼロ)が続くと、、、大西郷と敬愛していた頭山だけに、別格中の別格だったんでしょうね。大隈ー伊藤のよう直ちに続かないのが面白いですね。頭山の談話集「頭山満言志録」のなかでも「維新の三傑といって、西郷、木戸、大久保をならべていふが、なかなかどうしてそんなものではない。西郷と木戸、大久保の間には、零がいくつあるか分からぬ。西郷、その次ぎに〇〇〇〇〇〇〇〇といくら零があるか知れないので、木戸や大久保とは、まるで算盤のケタが違ふ」と述べています。
また、板垣退助は私欲のない人物とされていますから、頭山は敬って心から従ったのでしょう。

福岡の女傑高場乱

記者 頭山先生も、お若い時には、可なり荒修行をされたさうですが、福岡に高場何とかいふ偉い女の先生の塾があって……。
頭山 高場乱―あの塾には時々行ったことがある。女の豪傑でね。
記者 どんな方ですか。
頭山 十六ぐらいの時から両刀を横へて潤歩し、女子でいて男で通って居った。その養子なども、「親父が親父が―」といって居ったそうで。亀井といふ有名な漢学者の弟子で「亀門の三人」といはれた才女だが、全く珍しい婦人で、無欲で、深切の他は持合せがない。袷も棉人も着たことがない、いつも単衣ばかり。
記者 冬もですか。
頭山 寒くなると単衣二枚、まだ寒くなると単衣三枚、噴くなれば段々脱ぐ。全く無頓着。

高場乱を女の豪傑と高評していますね。無欲な人物に頭山は共感するのでしょうか。頭山の言葉や人物評を記録した本はたくさんあるので、また紹介したいと思います。