幕府の権威を揺るがした歴史的大事件

所用で東京に来たので、皇居へ寄ってみました。こちらが有名な桜田門です。小学校の教科書に載っている「桜田門外の変」が起きた事件現場です。

桜田門外の変とは黒船来航で揺れる幕末、井伊大老が、天皇の許しを得ずに外国と修好通商条約を締結しました。その結果、憤慨した志士18名が、大老井伊直弼を襲撃して暗殺した事件です。

襲撃した場所が江戸城へ登城中、桜田門の前だった事から「桜田門外の変」、または「桜田事変」と呼ばれています。

事件現場を検証してみる

流石に日本の中枢だったお城だけあって、濠の幅が広い。

常に警護の武士が大勢控えていたので、城内での襲撃は無理だったのでしょう。

そして城壁にも警備の目が光っており、傾斜も大変急なので潜入も不可能です。

襲撃が可能だったのは、現在警視庁があるエリアへ渡る交差点のあたり。彦根藩屋敷からお城への登城区間しかありませんでした。

桜田門からみてちょうど斜め前、300メートルほど離れた場所が、井伊大老の屋敷です。すなわち登城といっても、門とは目と鼻の先です。

道を挟んで向かいに見えているのが、法務省の建物です。幕末は上杉家の江戸屋敷がありました。そして事件はこの交差点で起こります。

赤丸の辺りが襲撃が起きたエリアで、彦根藩の行列60名と志士18名が入り乱れて乱戦になりました。

現在の内堀通りと桜田通りが交差する辺りです。当時は雨混じりの小雪で、雪が少し積もっていました。

この雪と寒さが襲撃側に有利に働き、視界が悪く、また彦根藩の護衛は、水気を嫌って刀を鞘袋に入れていた為、反応が遅れてしまったようです。

井伊直弼の籠は外側から滅多刺しにされ、籠の外に引きずり出された後、薬丸示現流の使い手、有村次左衛門によって首を落とされました。

この事件は歌舞伎をはじめ、様々な書籍や舞台等の作品になっています。それほど衝撃的で、日本の歴史を変えるほど影響力の強い出来事でした。

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