城と城下町のフィールドミュージアム

佐伯城を訪れた後に、佐伯市歴史資料館にちょっと行ってきました。
資料館は佐伯城下町を通る「歴史と文学の道」の起点にあります。この場所は佐伯藩の役所や明治時代は旧藩主・毛利家の屋敷でした。

佐伯市歴史資料館の入口の三府御門。藩役所の門として使用されていました

開館は平成27年5月と比較的新しい施設です。中世から江戸時代を中心とした佐伯の歴史を主なテーマとして展示を行っています。館内はフラッシュを使用しなければ撮影は可能でした。

常設展示では、まずご多分に漏れず、縄文・弥生時代に出土した土器から展示されています。わたし歴史は大好きなのですが、この時代はあまり興味を持てないんですよね。日本史を知る上で非常に重要なのは分かるんですが、、、なんでだろう。そのうち知りたいと思える時が来るんですかね。。。

そこから時代が下って、平安時代から戦国時代まで佐伯を支配していたのは豊後大神氏流戸次氏の支族の佐伯氏でした。鎌倉時代から戦国時代までは豊後の大友氏に属していましたが、幕府や朝廷から直接、討伐を命じられるなど独自の勢力を保持していました。そのため、何度か大友氏との衝突もあったようです。大友氏が豊臣秀吉により改易されると佐伯氏も豊後を去り、一時は豊臣秀保の客将となりますが、最後は藤堂家に仕え津藩士として明治に至りました。

佐伯氏略図。祖の祖母嶽大明神から津藩士となった惟定までを説明しています

この津山藩士となった佐伯惟定ですが、あの大友家時代に手板島津軍に大勝しています。祖父・惟教と父・惟真は1578年、あの有名な耳川の戦いで島津軍と戦い戦死。跡を継いだ惟定は1586年の堅田合戦で島津家久相手に大勝。これが島津軍の九州制覇を阻む要因となります。非常に優秀な武将だったのでしょうね。後に仕えた藤堂家では4500石の禄を食み、重臣となります。

展示の半分以上は江戸時代に佐伯を治めた毛利家にまつわる展示です。いまの佐伯市域は佐伯藩と中川氏の岡藩に分かれていました。とういことは佐伯市でも、文化や風土が大きく異なっている点があるのかもしれませんね。興味深いので調べてみようと思います。

この展示で一番目を引いたのは大鉄砲です。佐伯市歴史資料館は「閻魔王」「四海波」「秋風」「無聖」の4丁所有しており、非公開の無聖以外の3丁は展示されています。これらは実際に文献に記録され、かつ、実戦で使用された点において非常に貴重なものとなっています。

上から秋風、閻魔王、四海波。間近でみるとその大きさに圧倒されます

閻魔王(全長277・9㎝、口径2・2㎝)は朝鮮征伐で770m先の距離から射撃し敵陣を混乱に陥れ、四海波(全長281・5cm、口径2・5㎝)は大坂夏の陣で大坂城の屋根瓦を打ち抜いたそうです。射撃には2人がかりで持ち抱える必要がありました。こんな巨大な銃で撃ちかけられたら恐怖ですね。

このほか8代藩主・高標が収集した本や佐伯藩に関する古文書などが展示されています。