島津を蹴散らした大友の最終兵器

二の丸跡を跡にして本丸跡へと向かいました。
途中、佛狼機砲が展示されています。大友宗麟が1576年にポルトガル人の宣教師から入手したとされ、その絶大な威力から「国崩し」と呼ばれました。その後、大友氏は島津氏に呑み込まれそうになりますが、この最新鋭の武器を所持していたことで、臼杵城籠城時には、この大砲で島津軍を撃退することに成功します。このためか佛狼機砲は江戸時代を通して本丸に配備されていたそうです。

複製の佛狼機砲。実物は靖国神社の遊就館に展示されています

本丸手前に二の丸を隔てる空堀が北側と南側あります。北側は大友氏時代、南側は17世紀初頭に造られました。

北側
南側

本丸の奥にある階段を降りていくと卯寅口門脇櫓があります。お城の裏口にあたる卯寅口に築かれた櫓で、嘉永年間(1848年~1855年)に再築されました。火薬庫として使われいたようで、鉄砲薬櫓とも呼ばれています。

隣には卯寅稲荷神社があります
卯寅口門脇櫓
武具櫓跡石垣
井戸丸

また、本丸の北西には天守櫓跡があります。福原氏時代に築かれた可能性が高く、3層4重の構造だったそうです。その後、稲葉氏により何度か修理されたそうです。

天守櫓跡