旧藩主の里帰りのための稲葉家下屋敷

天気が良かったので、ちょっと臼杵城下町に行ってきました。
日豊海岸に面した臼杵藩稲葉家5万石のまちなみです。
まずは臼杵城大手門の近くにある稲葉家下屋敷に向かいました。

臼杵城大手門

稲葉家下屋敷は、明治になり東京に居を移した稲葉家の里帰りのための屋敷です。建築は1902年。敷地は約1000坪で、大書院の棟、御居間の棟、台所の棟の3棟の建物が畳廊下で結ばれています。また、北側に庭が広がっています。

稲葉家下屋敷
玄関

庭からは旧平井家住宅に繋がっています。江戸時代までは稲葉家から稲葉姓を与えられた200石取りの武家の住まいでしたが、明治に入ると所有者が平井姓の人に交代したため、旧平井家住宅と呼ばれています。

臼杵の武家屋敷は玄関口に入ると、接客用の表玄関と居住用の内玄関を並べて設けてあるのが特徴です。

玄関口。玄関前の門は撮影するのを忘れました
内玄関(左)と表玄関(右)

稲葉家は東京に移り住んだ後も、旧国立第百十九銀行など出資し、臼杵の経済発展に貢献します。旧国立第百十九銀行は三菱銀行(現三菱UFJ銀行)の前身行で、1879年に東京で開業し、臼杵に支店を設置します。これは当時、既に大分県内に銀行は数行あったためだと言われています。また、臼杵藩士族の会社にも出資するなど、臼杵に来る機会は少なくなかったと思います。