きわめて優秀なカピタン、家久らの墓

天気が良かったので、ちょっと島津家久・豊久公墓二基に行ってきました。
1579年、大友宗麟を頼り豊後に落ち延びた伊東氏に代わり、佐土原城主になったのが島津家久でした。家久は串木野から家来700人余りを従えて、佐土原城に入城。ここを拠点に九州各地で戦いを繰り広げ、島津氏の版図を拡大することに貢献します。

シュールな家久像

家久は1584年に沖田畷の戦いで、敵総大将の龍造寺隆信を討ち取ったほか、戸次川の戦いで長宗我部信親・十河存保らを討ち死にさせるなど大活躍します。大物武将キラーですよね、数々の首級をあげています。

小道からお墓に向かいます
墓地があったので、探したけれど見つからず
まだ奥にあるそうで、、、
さらに進むと
ありました

1587年、家久は41歳の若さで急死。息子の豊久が18歳の若さで跡を継ぎますが、関ヶ原の戦いで島津義弘の身代わりとなり討死。豊久には子どもがおらず、佐土原城は明け渡しとなり、遺臣は鹿児島の永吉へ移りました。その後、島津以久が入城し、佐土原藩初代藩主となります。これに対し家久・豊久を前島津と呼びます。

左から家久、豊久、家久の妻、家久の母の墓です
前島津の一族や家臣や関ヶ原の戦で豊久に殉死した者などの墓もあります