佐賀にもある思案橋

街道を歩くと桃山時代末期の刀匠である肥前忠吉一門の屋敷跡があります。

肥前忠吉は、龍造寺隆信の家臣の子として生まれましたが、父・橋本道弘は沖田畷の戦いで討死。忠吉はまだ13歳であったため、知行を継ぐことができませんでした。

このため刀匠へと転身。数多くの名刀を世に出しました。また、その系譜も幕末まで名工の名を残しました。

踊りエビス像。この像は釣り上げた鯛を足元に置いています
北面天満宮
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佐賀宿にはタバコの製造所跡があります。ここでは「富士の煙」という銘品が製造されました。薩摩の国府葉、豊後の竹田葉、筑前の久喜宮葉などを買い付けて、製造しました。大隈重信も愛用したそうです。

タバコの製造所跡
旧牛島家住宅。江戸期の建築で佐賀城下では最も古いとか
明治17年建築の旧古賀家住宅。古賀銀行の創設者古賀善平の住宅です。武家屋敷風ですね

長崎と同じく佐賀にも思案橋があります。こちらの思案橋も歓楽街、遊郭街へと続いており、行くか戻るか思案したことで、この名前が付きました。

思案橋
橋の横にある思案橋遺跡
荷揚場跡

東の入口である牛嶋口跡まで来ました。城下にある6箇所の入口のうち、この牛嶋口は牛嶋構口や慶長町口とも呼ばれ、格式の高い入口のひとつとされていました。

勿論、警備や監視は厳重で番所、柵、溝、土塁などが築かれ、閉鎖的な空間でした。

大藩の城下にあった宿場ということで、遺構が少なくなっても、その厳重な守りの姿勢が伝わってくる場所でした。あと、結構距離があり歩くので、時間に余裕を持って散策されることをオススメします。