早稲田大学創始者の生家

天気が良かったので、ちょっと大隈重信旧宅に行ってきました。
早稲田大学の初代総長、また第8代・17代内閣総理大臣として広く知られる大隈重信の生家です。

入口。敷地内には大隈重信記念館も併設されています
大礼服姿の銅像。午後からは逆光になります

大隈は佐賀藩士の大隈信保・三井子夫妻の長男として1838年に生まれます。大隈家は知行400石取りの上士の家でした。生誕後、明治元年に東京に出るまで、この家で勉学に励みました。

生家。葦葺2階建、建坪30坪で、武家屋敷としても貴重なものです
土間
茶の間
波多野敬直の揮毫による「大隈重信侯の誕生地」の記念碑

大隈重信記念館

大隈生誕125年を記念し、1968年に建設された大隈重信記念館も隣接しています。大隈の功績や貴重な資料などが展示されています。

大隈重信記念館。2015年2月にリニューアルしました
入口にある大隈カレンダー

政治家や教育者として多大な功績を残しましたが、わたしが一番好きなエピソードは1889年10月18日のテロ実行犯への対応です。当時、外務大臣だった大隈が行っていた不平等条約の改正交渉に反対する玄洋社の来島恒喜が、大隈が乗る馬車に爆弾を投げ込んだ事件ですよね。いわゆる大隈遭難事件です。来島はその場で短刀で喉を突き自害、大隈は一命は取り留めますが、右脚を切断してしまいます。

誰もが自分に大けがをさせた犯人を避難するものですが、「外務大臣に爆裂弾をくわせる勇気は、蛮勇であろうとなんであろうと感心する」と賞賛。来島の法要の度に香料を贈っただけでなく、追悼演説もしたそうです。いかに懐が深かったが分かるエピソードです。わたしなら爆弾を贈ります。。。