「芦屋千軒」と呼ばれた積出港

芦屋宿は筑前二十一宿の一つに数えられる遠賀川沿いの宿場町です。

河口に位置する為、年貢や特産品の積出港として大いに栄え、裕福な商家が軒を連ねた様子は芦屋千軒と謳われました。

中世代には橋がかかっていたようですが、その後大正時代までは橋がかけられず、対岸との行き来には渡し舟が使われていました。

芦屋橋の西側にある「蘆屋の渡し場跡」の石碑。

現在の芦屋橋は、大正期の初代から数えると三代目なのだそうです。全長は270mと、それほど長くありませんね。

江戸時代までは陸と川と海が交差する要衝として大いに栄えましたが、木屋瀬宿が整備されると次第に寂れました。

また、中世代には釜は蘆屋といわれるほど釜の製造が盛んで、金屋遺跡からは多くの鋳型が出土しています。

筑豊といえば石炭

鉄道が通るまでは川ひらたと呼ばれる川船が運送の主役として活躍していました。

芦屋宿 旧市場町

さて、それでは芦屋宿のかつてのメインストリートを歩いてみましょう。

芦屋宿は本陣が指定されておらず、そして御茶屋も置かれなかったので遺跡は残っていません。

現在は江戸や明治期の建物などはほとんど残っていませんね。

当時から残っているものといえば、神社やお寺などの宗教施設ぐらいのものでしょうか。

さて、中心部に向かって歩くと少し隆起しています、小高い丘のような感じですね。

途中で梵字が彫られた石碑が立っていました、一字一石塔と書いてあります。

そして中心部をすぎるとなだらかな下り坂に、この宿場は直線で見通しが良いですね。

「筑前蘆屋宿構口の跡」の石碑、福岡側の宿場の入口がこちらですね。

そして近くには古井戸らしきものもありました、江戸期からあるのかな?

こちらは追分石です。
石は新しく設置されたもののようですが、しかし昔からこの場所にあったものでしょう。

構口付近にある地蔵堂です。

この先唐津街道は赤間宿へ続いていくのですが、しかし自衛隊の基地などがある為、部分的に消失しています。

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