永倉新八によって建てられた供養塔

近藤勇の墓と新選組隊士の供養塔が、板橋駅前のロータリーから見える場所にあります。

流山で捕らえられた新選組局長の近藤勇は板橋へ移され、そしてこの近くの板橋平尾宿にあった一里塚で斬首されました。

近藤勇の墓は新選組隊士・永倉新八が発起人となり作られました。

さらに函館で戦死した副長・土方歳三をはじめ百十名にのぼる新選組隊士も共に供養されています。

近藤と喧嘩別れした永倉は明治期まで生き残り、晩年は新選組の仲間を弔って過ごしました。

近藤は捕縛後、見張り役だった横倉喜三次とは剣客同士で気が合ったようで、意気投合して部下の助命をお願いしています。

処刑当日、太刀取り(斬首役)を命じられたのは横倉でした。その事を近藤に告げると、大変喜んだそうです。

埋葬当初使われてた墓石です。

しかし、甥の近藤勇五郎は「遺体を掘り起こし、密かに故郷の龍源寺に運んだ」と証言しています。

近藤勇の墓・土方歳三の墓

そして局長・副長のお墓が中央にあります、流石に立派な造りですね。

幕末のトップスターだけあって、献花が絶えないようです。

「局長の眠る板橋へ埋めてくれ」という遺言の元、永倉の墓もここにあります。

平尾一里塚

さて、ここからお墓を出て右手にある、実際に斬首された一里塚へ行きましょう。

実は交差点付近は川が流れていて土手になっていました。確かに少し坂ですね。

この辺は所刑場ではなく馬捨て場で、新政府軍が臨時の処刑場としたそうです。