鍋島鹿島藩2万石の居城

天気が良かったので、鹿島市の鹿島城跡にちょっと行ってきました。
佐賀藩の支藩・鹿島藩は、初代から9代・鍋島直彝まで鹿島市常広の常広城を居城としていましたが、数多くの水害に悩まされていました。このため直彝は移転を幕府などに願出て鹿島城を築城。1807年に完成し、移転しました。その後、城は1874年の佐賀の乱の際に焼失。跡地は現在、旭ヶ岡公園や県立鹿島高校 になっています。

桜の名所でもある旭ヶ岡公園

この旭ヶ岡公園から散策することに。この公園は日本の歴史公園100選に選定されており、県の重要文化財の赤門は、かつて鹿島城の正門で現在は鹿島高校の校門として使用されています。また、 初代藩主の忠茂から13代藩主の直彬までの歴代藩主を祀っている松蔭神社があります。

1808年建立の赤門
最後の藩主・直彬の像
松蔭神社
拝殿

鹿島城の外郭は南北650m、東西370mと、石高2万石の居城としては、大規模なのではないでしょうか。鹿島藩は城持大名では無いので、扱いは陣屋ですが、お城と呼ぶにふさわしいものだと思います。

城跡の北側には県の重要指定文化財の大手門があります。1874年の佐賀の乱で焼失した鹿島城ですが、赤門と大手門は類焼を免れました。両門とも飾り金具は少なく極めて質素ですが、木組みは雄大で小藩の城門としては非常に立派なものだとか。 また、大手門は昭和になって赤く塗り替えられました。

大手門
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