鍋島家の御用窯が置かれた秘窯の里
天気が良かったので、ちょっと伊万里市の大川内山に行ってきました。
佐賀藩の領地であった伊万里市、佐賀県有田町は、磁器の生産地として栄えました。その中でも伊万里市大川内山は1660年ごろに藩直営の窯が置かれ、販売目的ではなく将軍や諸大名の贈答品として焼造されました。当然、技術の粋を集めてつくられた焼き物は超高級品。藩は技術を流出させないために、この険しい大川内山に藩窯を置いたとされています。
伊万里焼、有田焼と耳にすることがあると思いますが、有田焼は有田町周辺で生産される磁器のことで、伊万里の港から輸出されていたため伊万里焼と呼ばれていました。有田焼と呼ばれるのは明治時代以降。古伊万里と呼ばれるのは江戸時代につくられた有田焼を指します。
そして、この御用窯があった大川内山のものは鍋島と呼ばれますが、1872年の廃藩置県で藩窯は解散。その後、鍋島の技法を受け継ぎながら新たな技法を取り入れ現在、大川内山で焼かれる焼き物を伊万里焼といいます。
江戸時代の窯跡として、1694年に建てたお経石窯の跡があります。
先祖の供養塔の近くに建てたことが名称の由来です。
13の窯室からなる連房式の登り窯で、発掘調査では窯道具のほか陶器がたくさん出土したそうです。
当時の中心地には藩役人宅跡や加藤清正公堂があります。何故、清正と思いますが、
陶工のなかに熱心な日蓮宗の信者が多く、清正が日蓮宗の信者だったことから建立したそうです。
大川内山では製作技法が漏れるのを防ぐために関所が設けられました。
関所より内は藩窯関係者の通行は禁止。関係者でも日用品の売買は関所で行われ、一生をこの地で過ごす者も多かったそうです。
風鈴ふうに飾られた焼物「めおとしの塔」
陶石を細かく砕くため水の力を利用した大型の臼