長崎街道・多良海道との分岐点として栄えた交通の要所
天気が良かったので、ちょっと小田宿跡に行ってきました。
佐賀藩は江戸時代初頭に大村領を通らず、有明海沿いを通って長崎に向かう多良街道をつくりましたが、この小田宿は多良街道と長崎街道の分岐点として大変栄えました。なお、多良街道は「長崎街道多良往還」「多良道」「諫早街道」などと呼ばれ、嬉野市の塩田宿から諫早市の永昌宿までの約48㎞のルートです。
江北町は佐賀県の中心部に位置し、南部は平坦な農地が広がっています。かつてここを通ったドイツ人医師ケンペルは「小田には他よりも見事な田園があった」と語ったとか。
宿の中心部には奈良時代に行基が大楠に掘った馬頭観音像がありました。楠樹の観音様として地元や藩主の信仰が篤く、毎年3月3日には盛大なお祭りが行われていたそうです。1851年に側の観音堂が火事になると、大楠にも延焼しました。観音像は難の逃れましたが、焼けた大楠は風化腐朽を早め、現在では空洞となり尊像を見ることはできません。この楠樹は1976年に町の天然記念物に指定されています。
観音堂から100m先には関川家住宅があります。明治時代中期に建築されたと推定されており、農民銀行の事務所兼住宅として使用されました。