山の上の近世城郭

天気が良かったので、ちょっと佐伯城に行ってきました。
佐伯城は関ヶ原の戦い後、東軍佐伯2万石を与えられた毛利高政が築いた総石垣の城です。築城場所は平城が主流となった時代にあえて八幡山山頂一体を選定。1602年より4年の歳月を架けて完成しました。ちなみに毛利高政は豊臣秀吉に仕えた尾張出身者で、長州藩の毛利氏とは血縁関係はありません。毛利を名乗るのは長州藩の藩祖・毛利輝元に気に入られ、秀吉の許しを得て改姓しました。

麓には佐伯市民族資料館や三の丸などがあり、駐車場も整備されています。ここから標高144mの山頂を目指します。

駐車場

麓の駐車場の側には現存する三の丸があります。実は築城後から約10年ほど建った1617年に山頂にあった本丸、二の丸などは焼失してしまいます。1637年に佐伯藩3代藩主・高尚が三の丸を増築して、居館を移してからは、この三の丸で藩政を取ることとなります 藩の中心施設となりました。やっぱり山の上は不便でだったのでしょうか。

1726年改修、1832年改築の三の丸櫓門。県の指定有形文化財です
写真上が本丸、天守、二の丸など、下が三の丸

登山道コースは、当時使用されたままの「登城の道」、緩やかで登りやすい「独歩碑の道」など4つ。当然、往時に思いを馳せながら散策したいので、登城の道を選択しました。

スタートです
本当に山道でした、、、

当日まで山城だったと知らず、まさか登山するとは思ってみませんでした。関ヶ原の戦いの後とはいえ、まだまだ政情は不安だったので、戦いに備える必要があったのでしょうね。通いの家臣らは、さぞダルかったろうと思いながら登りました。自宅に忘れ物したら悲鳴をあげてしまいそうだ。。。

山頂に近づくと石畳がでてきました

20分ほ山頂に到着しました。山頂一体を石垣で取り囲んでいます。佐伯城は総石垣という近世城郭の特徴と軍事色の強い山城といった特色をあわせ持っているのが面白ですよね。全国的にも珍しいタイプみたいです。

山頂。佐伯市内が見わたせます。
本丸跡

二の丸跡に行ってみます。本丸と二の丸の間には石垣の堀切があります。平時には橋がかかり、いざ戦となると橋を破壊し、本丸へと攻め込めないようにしたのでしょうね。

堀切
これだけの石垣を山頂まで運ぶのはたいへんだったろうなぁ、、、
二の丸
さらに進むと
西の丸です

1617年の火災後に藩の中心機能は三の丸に移りましたが、1709年には6代・高慶により、天守以外の建物は修復されました。

階段状の石垣。崩れた斜面の復旧のため石垣の前面に別の石垣を築いています

非常に興味深いお城でした。近世城郭が主流の時代に山の上に築城したのが、いいですよね。失礼ながら、わずか2万石の領主の城としても立派なものだと思います。大満足で城を後にしました。

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