筥崎宮境内は重要文化財の宝庫
長い参道を進むと、重要文化財に指定されている「一ノ鳥居」がみえてきます。
使用されている石材は阿翁石。通称・筥崎鳥居と呼ばれています。
寄進したのはあの黒田長政公。慶長14年(1609年)に建立されています、ちょうど徳川幕府が成立して、しばらく落ち着いている時期ですね。
鳥居の前には、映画「君の膵臓をたべたい」でロケに使われた「花山」が営業しています。観光できた方にはおすすめのお店です。
流石に社領が広く、境内は広々としています。正月にはこちらで玉せせりと呼ばれる、締め込み姿のせり子たちが浜側と陸側に分かれ、二つの玉を奪い合う祭りが行われます。
陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁といわれています。
箱崎のいそべの千鳥親と子と、なきにしこえをのこす唐船
日本に捕われた祖慶官人を迎えに来た子供たちが、もし父が亡くなっていたら建てようと持ってきた供養塔が残っています。
唐王朝があったのは618年 – 907年なので、日本では飛鳥から平安の頃ですね。
また、祖慶官人が日本人妻と別れる時に、腰かけて名残を惜しんだといわれる一対の石「夫婦石」も残されています。
参拝客が多い為、手水舎も大変立派です。
ご神水でお金を清めて、自分で作る御守りがありました。なかなかめずらしいですね。
御神木の大楠です。
こちらは古井戸、海が近いのにしょっぱくないのかな?
君が代に出てくる「さざれ石」が展示されていました。
元寇ゆかりの史跡
元寇の折には神風を吹かせたことで有名な神社だけあり、元寇関連の史跡が多数境内に展示されています。
元の襲来(元寇)をテーマにした歌です、軍歌ですね。
大正天皇も愛唱した逸話が残っているほど有名な曲で、替え歌も沢山ありました。
蒙古軍船の碇石です。博多中央ふ頭の海底で発見され、福岡県有形文化財になっています。
大船団は神風によって沈み、今も博多湾に眠っています。
元寇防塁です。福岡市内の色々な所でみられますが、こちらは西南学院高校(福岡市早良区)にあった元寇防塁の一部が移築されたものです。