今も残る古代の道

天気が良かったので、ちょっと鈴田峠に行ってきました。
大村藩領の大村宿から佐賀藩領の永昌宿へ向かうには鈴田峠を越える必要がありました。

大村市側から歩くことに。麓にある大神宮神社からスタートしました。

大神宮神社の鳥居
階段を上り
拝殿

大神宮神社周辺は古松宿休憩所がありました。1802年に福岡藩の支藩である秋月藩が本藩の代理として長崎警備を命じられた際に、安次郎という者の家で小休憩をしたそうです。以降、諸大名や幕府の役人が休憩所として使用するようになったとか。

大神宮神社の駐車場に休憩所があったそうです

鈴田峠は往時の姿をほぼ、そのまま残した昔のままの道です。

文化庁の「歴史の道百選」のひとつに指定されています。その道が現れるまで、しばらく生活道を歩きます。

途中に渡邉伝弥久と馬の墓があります。1589年に伝弥久は大村喜前(初代大村藩主)の使者として、鈴田峠を通った際に大雪で馬ともども死んでしまいました。以来、武士の墓として祀られたそうです。

渡邉伝弥久の墓

この墓からもう少し歩くと落ち葉を敷き詰めた道があります。

江戸時代にタイムスリップした感があります。じんわり汗ばんで、気持ちいいです。

籠立場跡がありました。縦約4m、横約5m、高さ約1~2mの石垣が積み上げられたこの場所で、大名や幕府役人は籠から下りて休憩をとったそうです。

籠立場跡

ここからさらに150mほど進むと藩境石があります。大村藩と佐賀藩との境界の目印となった大石です。境界は今では、ほぼ大村市と諫早市の市境となっています。

藩境石

ここから更に進むと大渡野番所跡があるので、最終目標地としていたのですが、道が三方にあるため、どちらに向かえば良いか迷ってしまいました。。。Googleナビにも出てこず、しかも電波が届きにくいためカンで進みました。。。

右か左か、それとも真っ直ぐか、、、

普通に考えたら真っ直ぐなんでしょうけど、歩けど歩けど大渡野番所跡が出てきません。事前にネットで調べたら、藩境石から直ぐと書かれてたのですが、、、辺りが暗くなりはじめ、イノシシと遭遇したので、気持ちが萎えてしまい、引き返すことにしました。

実際には写真でみるよりも暗いです
この積み石みたら、なんか怖じ気づきました。。。念を感じました

全てのスポットまでの時間が事前に調べてた時間よりも、数倍かかりました。。。大渡野番所跡は、またそのうち訪れようと思います。冬の山は日が暮れるのが早いですね。。。