城下から移った新宿

天気が良かったので、ちょっと永昌宿に行って来ました。
永昌宿は長崎街道の本街道または多々良海道との合流点・分岐点となった宿です。長崎へ向かう場合は合流点で、ここから矢上宿、日見宿を経由して、長崎に入ります。

ところてんが名物だった石茶屋跡。写真の岩は勝海舟が休憩したとも

永昌宿は諫早中心部から2㎞ほど離れた場所にあります。当初は諫早城下に本宿があり、早道が造られたことにより、永昌が新宿となりました。しかし、本陣・脇本陣は城下にあり、旅籠や人馬継立所も城下の方が規模が大きく、そちらを利用する者が多かったそうです。永昌宿は数軒の旅籠がある程度で、農家がほどんどだったとか。

このため宿の遺構は、ほとんど残っていませんが、なんかあるだろうと一生懸命探してみました。往時を偲ばせるものがない場所って取材する上では苦戦しますね。細かくみれば地形などが色濃く残ってたりするんでしょうが、、、ブラタモリみたいに地形、地層に思いを馳せるには知識がないわけで、、、

お馬の水

今もわき出る清水で、馬に水をやったそうです。

さやんごぜん

集落の入口に祀ってあり、外からの邪気を防いだとか。

さやんごぜんいある伊藤鼎之助の墓

1874年の佐賀の乱で江藤新平の密使と見なされ、ここで斬首されました。

永昌代官所跡

諫早神社

最後は諫早の氏神様の諫早神社に行ってみました。

諫早神社の鳥居

創建は728年に行基菩薩が立ち寄った際に、石祠を作ったのがはじまりだとか。

拝殿

神仏習合の神社として明治維新までは四面大菩薩を祭神とする四面宮だったそうで、地元からは「おしめんさん」の名で親しまれています。

日本一の大きさの木像・アマビエさま

この諫早神社の前には四面河原の飛び石が、現在でも使用されています。そして、ここが多々良海道の起点です。

四面河原の飛び石

これまで長崎街道の宿場跡をご紹介してきましたが、残すは矢上、日見、長崎となりました。年内には全て訪れたいと思います。