花街・丸山町の氏神様
梅園身代天満宮は、丸山町の氏神様です。“身代り天神”と親しまれ、遊女や芸者達に信奉されました。
“身代り天神”の名前は、ある夜に町役人が襲われ左脇腹をやりで刺されて担ぎ込まれました。
しかし不思議な事にどこにも傷がなく、代わりに自宅に祀っていた天神様が血を流して倒れていたという話に由来します。
事件後、菅原道真公が夢枕に立ち、天満宮を祀るように告げられてこの地に勧請されました。
ところで梅園身代天満宮は例大祭での花魁道中が有名で、開催中は町全体が花街時代の雰囲気に包まれます。
さて、境内へ進んで参拝しましょう。
江戸後期になると、境内では見世物小屋や相撲の興行なども行われ、賑わっていたようです。
神社猫が居ました。それにしても長崎は猫が多いですね、色々な所でお会いします。
天満宮にはお馴染みのなで牛がありました。
そして、少し独特な手水舎。なにやら古代の青銅器のようなデザインですね。
さらに、天満宮といえば神紋にもなっている梅ですよね。社名の通り梅の木が植樹されています。
梅園身代天満宮 社殿
さて、社殿前の狛犬には飴を含ませると、身代わりに歯の痛みをとってくれると言い伝えがあります。
その為か、狛犬の口の中には常に飴がぎっしりと詰められています。
本殿隣には境内社の七力稲荷神社があります。
そして、こちらは梅塚です。梅の種には天神様が宿るという言い伝えから、種を捨てずに納める風習がありました。
したがって、こちらの梅塚には江戸期より多くの梅の種が納められています。