特例の一国二城体制

天気が良かったので、ちょっと八代城跡に行ってきました。

八代城は熊本藩の第2第藩主・加藤忠広によって1620年から2年かけて築城されました。熊本藩は、熊本城と麦島城の一国二城体制が幕府から認められていましたが、1619年に大地震により麦島城が倒壊。このため新たに築かれたのが八代城です。

4層5階の大天守と2層2階の小天守、月見櫓、唐人櫓など7棟の櫓などで構成していました。

北参道神橋

明治になり廃城令により取り壊れましたが、本丸の石垣と内堀はしっかりと残っています。

見応え十分です

北参道神橋という橋を渡りましたが、城跡には八代宮がありました。なるほど、だから参道の名前が付いてたんですね。

明治維新後は南朝の功労者を祀る神社の創建運動が各地で起こっていたそうで、八代宮も懐良親王を祭神とし、良成親王を配祀する神社として、1884年に創建されました。

手水舎
拝殿
本丸の井戸跡もありました

1632年に加藤家が改易された後、細川家が肥後に入封しますが、熊本城と八代城の一国二城体制が継続されました。ふらりと散策するにはちょうど良い広さのお城跡でした。

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