前回はこちらから。爆弾池のすぐ近くには滑走路跡があります。
幅80m、延長1800mあったそうで、現在は通称・フラワーロード2号線(市道)が通っています。後で詳しく書きますが、ここから多くの若者が特攻機に乗って飛び立ちました。
次は城井1号掩体壕です。軍用機を空襲から守る施設の掩体壕は、コンクリート製の「有蓋掩体壕」が宇佐市内に10基、土を盛り気などで覆った「無蓋掩体壕」が1基あります。
掩体壕は、軍用機を空襲から守るための施設です。
市内には、コンクリート製で屋根付きの「有蓋掩体壕」が10基、コの字型に土を盛り、上を木などで覆って飛行機を隠した「無蓋掩体壕」が1基残っています。城井1号掩体壕は前者で、昭和19年8月から翌年1月に建設されました。
内部には国東沖で引き上げられた零戦のエンジンとプロペラが展示されていました。
こちらの掩体壕には、コンバインが収納されていました。農具小屋として使われているのでしょうかね。
次は発動機試運転場跡へ。このコンクリート製の建物の中で発動機(エンジン)の試運転や調整を行ったそうです。内部はエンジンを吊して移動させたと思われるレールの跡があります。このほかにも宇佐海軍航空隊の遺構を見て回りました。次回は、ちょっと離れた場所にある戦争遺構をご紹介します。