飛鳥時代には存在していた日本の外交施設

福岡城内からは、飛鳥・奈良・平安時代の外交施設であった鴻臚館の遺構が出土しています。そして、その出土品が福岡城内に建てられた、鴻臚館跡展示館で展示されています。

かつて西鉄ライオンズの本拠地であった平和台球場が城内にありましたが、外野席改修工事による発掘調査の際、鴻臚館遺構の一部が良好な状態で発見され、その後2004年に国の指定史跡に認定されました。

鴻臚館はかつては平安京や難波にも存在しましたが、遺構がみつかって国の史跡になっているのは、こちらの筑紫の鴻臚館だけです。

飛鳥・奈良時代には筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれていましたが、平安時代に入ると鴻臚館と改称されます。約400年の間、日本の対外交渉の窓口とされていた鴻臚館をみてまわりましょう。

ちょうどこの日は鴻臚館跡展示館横の広場で、行政によるイベントが催されていました。

歴史に関するイベントで、ステージでは福岡黒田武将隊によるパフォーマンスなどが行われています。

広場の一角では野立ての体験なども行われていました。あいにくこの日はカンカン照りだったので、お茶は遠慮しましたが、風情があって良いですね。

その他、近隣の市町村から特産品が持ち込まれたりしています。

広場の一角ではクイズなども行われていましたが、あまり興味がわかないので展示室内へ向かいます。

鴻臚館跡展示館

鴻臚館跡展示館はなんと入場無料です。かなり立派な施設なのに福岡市は太っ腹ですね!

館内に入ると復元された鴻臚館が正面に現れます。鴻臚館は海外からの使節の迎賓館の役目の他、日本から旅立つ使者のための宿泊場所でもありました。

最澄空海など、中国へ渡って仏教を持ち帰った歴史に残る名僧達も、この鴻臚館に泊まって、唐に渡る為の準備をしていたと考えると浪漫がありますね。

建物の隣では、実際にどのような遺構が残っているのかを直に観る事ができます。これだけの遺構が、福岡城や平和台球場など、再三にわたる土木工事で破壊されずによく残っていましたね。

ちなみに大部分は埋め戻されましたが、発掘調査は現在も継続中で、今後また新しい大発見があるかもしれません。楽しみですね。

出土品としては陶磁器やガラス器を中心に当時のごみなど多種多様にでてきているようですが、文字を記してある出土品が極端に少ないので、まだ分からない部分も多いのだそうです。

建物の規模や当時の建築仕様はかなり明らかになっているみたいなので、いつか完全に復元された鴻臚館をみてみたいですね。

にほんブログ村 写真ブログ 地域の歴史文化写真へ にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
記事が参考になりましたら、こちらのボタンをクリックお願いします。
投稿者

mokudai

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です