名島海岸を歩いていると木製の立派な鳥居が建てられています。こちらは神功皇后が宗像三女神を勧請して建立したという名島神社です。

なんとこの名島神社には、足利尊氏豊臣秀吉も参拝した記録が残っています。

名島神社は元々は神宮ヶ峰の頂上にあったそうですが、小早川隆景によりこの場所へ遷座されました。

江戸時代の古城図です。江戸時代までは三女神の市杵島姫命が弁財天と同一視された事から、名島神社は「名島弁財天社」と呼ばれていました。

本殿がみえてきましたね。まずは手を清めてからお参りします。

手水舎の近くに何やら魚の形をした石の置物が。なんだろうこれ?お寺では木製の魚をたまにみかけますが、同じようなものなのかな?

本殿は黒田斉清公により再建されて今に至ります。神仏習合の時代を思わせる仏閣作りです。平成二十三年に改修されたようです。

名島神社に関しては筑前国続風土記に詳しく書かれていました。長いので重要部分だけ抜粋します。

名島辯才天社
今の社の東いと高き山を神功が峯と云。此山則いにしへ社ありし所也。一説、神功皇后ののぼらせ給ふ峯なる故に、神功が峯と云。小早川隆景、名島の城を築れし時、今の所にうつさる。神功峯の南を鳥居峰といふ。是鳥居を建たりし所也。元禄年中、國君より社を又むかしのごとく山上に移され、神殿をも綺麗に改めて作りて、石の鳥居を立給ふ。其鳥居の額は、元禄年中、篤信が乞に依て、花山院前内府定誠公書給ふ。むかしは大社なりしが、中ごろより衰けるにや。此神も宗像三神の内を勧請せしなるべし。~以下略

筑前国続風土記 巻之十八 糟屋郡 表

神職の方が常駐されている感じの社務所があります。この日は週末だったので、本殿で何か祈願が行われていました。

これは何だろう?丸い円柱に盛り塩がおかれています。何かの儀式に使うのでしょうか。

境内末社の恵比寿社・大黒天社・妙見社です。

こちらは豊受宮。

明治期に勧請された豊川稲荷神社もあります。

改築記念の石碑です。

明治時代の神仏分離令を受けて、弁財天は宗栄寺へと移されました。名島神社の境内と繋がっているので、次回は宗栄寺をみてみましょう。

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