九州を統括する古代の地方行政機関

太宰府天満宮にお参りしたので、途中で大宰府政庁跡に寄ってみました。大宰府は7世紀後半から12世紀後半にかけて、九州を統括する行政機関として置かれていました。

アジア大陸に対する日本の外交交渉の窓口であり、また防衛の最前線基地でもありました。

西海道九国と、壱岐・対馬など九州近海の離島を管轄しており、与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれたほどです。

日本の文化・伝統を語る日本遺産として国が認定する日本遺産に選ばれています。全国で18件選ばれた中の1つらしいです。しかし、残念ながら地域活性化の取り組みが足りないという理由で、今年の2月に認定が取り消されてしまいました。2026年度以降に再申請が可能らしいので、また返り咲いて欲しいですね。

また、国の特別史跡にも指定されています。こちらも全国で64件しかないようで「史跡のうち、学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの」を基準に選ばれています。

平安時代末期には役割を終えて、田畑に変貌していましたが、昭和30年代から文化的価値が認められて、再び脚光を浴びました。

大宰府の保存は、江戸時代に黒田家の調査からはじまって現在に至ります。建物の礎石がしっかりと残っており、かつての建物は専用のアプリを通してバーチャルで観る事ができます。

では、政庁跡地をみてみましょう。広々とした広大な土地ですが、確かに礎石がしっかりと点在して残っています。

ちなみに大宰府という名前ですが、歴史的用語としては機関名である「宰府」という表記。そして地名や菅原道真を祀る神社は「宰府」という表記が使われます。

大宰府政庁跡の敷地面積は、約25万4000平方メートル。野球場でいうと6~7個分の大きさに相当します。とにかく広くて気持ちいいです。近所の方のお散歩コースになっているみたいですね。

長官である大宰帥(だざいのそち)は従三位相当官で、大納言クラスの中央政府高官が兼任していましたが、平安時代には親王が任命されて実際には赴任しないことが大半でした。

実際の業務には、次席である大宰権帥(だざいのごんのそち)が担当していました。帥・権帥の任期は5年間でした。大河ドラマ「光る君へ」では、藤原隆家が大宰権帥として赴任していましたね。刀伊の入寇に遭遇して、陣頭指揮をとるシーンが描かれました(つづく)