ジオラマで視覚的に文化を紹介
前回に続き、大宰府展示館をみていきます。館内には色々あん所にジオラマが展示してあって、視覚的にも分かりやすく学べる工夫がしてありました。

こちらは梅花の宴の様子をジオラマで再現したものですが、当時の宴がどんな感じのものだったのかが分かりやすいですね。現代と違い、一人一人が座布団のようなものに座って輪になって楽しんでいます。

大宰府は多数の教養人が赴任していた事もあり、万葉集に掲載される歌もこの土地で多数生まれています。また、最近だと「令和」という元号の元になった歌も詠まれていて、ニュースになりましたね。

筑紫歌壇の中心人物ともいえる大伴旅人の博多人形です。飛鳥から奈良時代にかけて活躍した人で、隼人の反乱を平定して、60を過ぎて大宰府に赴任しました。官位は大納言まで上り詰めています。

梅花の宴の参加者一覧です。当時は対馬とか多禰の離島から参加するのは大変だったのではないでしょうか。

梅花の宴で出されていたメニューの復元模型です。色味は少ないものの、美味しそうですね。

菅原道真に関する資料と、生涯の略歴です。

大宰府政庁跡の発掘調査の様子なども展示されていました。中にはジオラマなのか本物なのか分からない展示物もあります。

ここだけは若干本物感あったんだよな。
大宰府周辺の史跡と資料
さて、ここからは大宰府周辺の史跡と資料になります。まずは観世音寺の木製ジオラマ。

観世音寺は7世紀後半、天智天皇の発願で母・斉明天皇の供養のために創建され、僧に授戒をする「戒壇院」が設けられたことで有名です。その為、遠方からも多くの出家者が訪れました。

最盛時には、49もの子院を擁したとされる観世音寺ですが、度重なる戦乱で焼失しました。17世紀に再建され、宝蔵には重要文化財を多数保有しています。

こちらはその子院から出土した品々。膨大な量の土器・陶磁器・瓦・金属製品・石仏などが出土しました。

次に近くの水城跡から発掘された展示品です。水城は白村江の戦いで敗れた後、大陸からの侵略を恐れて築かれた平野を閉塞する遮断城です。

続いてこちらは大野城跡からの出土品のコーナーです。大野城も水城とほぼ同時期に造られた、大宰府防衛の為の山城です。土塁と石塁の外周城壁は、約6.8kmに達する大掛かりなものでした。

筑前国分寺の木製模型です。奈良時代、聖武天皇は全国に国分寺・国分尼寺を建立しました。跡地に残された礎石とお堂に残された伝薬師如来像に当時を偲ぶことができます。

国分瓦窯跡から出土した瓦です。奈良時代から平安時代に操業していたようで、筑前国分寺の他にも大宰府政庁や観世音寺からも同じ瓦が出てきています。

こちらは宮ノ本遺跡から出土したもの。太宰府西小学校の敷地内からは、買地券など当時のシステムを解明できる品が多数出土しました。

中国から渡って来た青白磁や青磁・白磁の出土品です。11世紀~13世紀頃のものとは思えない位、保存状態が良いです。

これだけの大物が欠けもせずに、よく現代まで残ったなと感心しました。全体的に説明が豊富で、非常に見応えのある展示館でした。