前回はこちらから。いつまで続くのか不安になっている方もおられるかもしれませんが、そろそろ終わりますので、ご安心を。今回は頭山満の人物像をご紹介します。

結局、頭山は何が偉いのか
現代でも人気が高い頭山ですが、1910年に冒険世界という雑誌の企画「現代日本一の人物」で、人気投票を行った際に豪傑部門で、1位(1万1538票)に挙げあれるほどの人気者でした。三浦観樹(8731票)、乃木希典(7377票)を押さえての1位でした。ですが頭山が「どんな風に偉いのか」「どんな偉いことをした人か」という問いに明確に答えられる人はいなかったのではないでしょうか。
杉山茂丸の長男で小説家の夢野久作は、頭山について、こう評しています。「頭山先生は豊太閤とかナポレオンとか云うような英雄、豪傑なぞの偉さとはまるで違った偉さを持って居られる。その尊さは東郷元帥、乃木大将なぞ云う人の貴さと、いささか違う、、、」。続きを読んでみましたが、、、よく分かりませんでした。
わたしなりに考えてみると、「何者にもならなかったこと」が偉いのではなかったのでしょうか。
- 政治家にならなかった
- 官僚にならなかった
- 学者にもならなかった
- 財閥にもならなかった
それでも、国家の運命に最も深く関わり続けた。
頭山は「役職」「名誉」「官位」という表面的な偉さを一切求めませんでした。それだけでも十分に偉いのではないでしょうか。一言で言うと
「名誉にも権力にも惑わされず、志だけを持って生き抜いた大人の志士」
だったのではないでしょうか。
頭山満の残した言葉たち
頭山の言葉は今も多く引用されています。その中でも有名なのは
「ひとりでいて 淋しくない人間になれ」
ですよね。頭山はこの言葉を若者によくかけていたそうです。
① 孤独に耐えよ、ではない
この言葉は単なる「孤独に耐えろ」という強がりではありません。
むしろ 「自分の内側に確かな志があれば、人は群れなくても生きていける」 という教えです。
群れに依存せず、名声や称賛にも依存せず、
人からの承認や仲間の数ではなく、自分の心にある志そのものを拠り所にして生きよ という意味になります。
② 時代の「孤独」との距離
頭山満が生きた明治・大正・昭和は、政党や権力争い、名誉欲、出世競争が渦巻いていました。
その中で、自らをそこから一歩引き、「孤高に生きる」 という覚悟を持ったのが頭山でした。
孤独でも揺らがない人間こそが、最後に周囲を動かせる。
これが頭山満の行動哲学でした。
③ 現代に通じる意味
- 名声に走る人が多い現代
- 誰かに認められたいと焦る時代
- 承認欲求に振り回されるSNS時代
そんな今だからこそ、
「ひとりでいても、心が淋しくならない人間」
という生き方は、逆に現代人にとって最も難しい在り方なのかもしれません。
簡潔にまとめるなら:「自分の志が自分を支える。だから群れなくてもよい。」
まさに、頭山満という男の“生き方そのもの”を圧縮した言葉 だと思います。つづく。

西暦 出来事
1855年(安政2) 誕生(福岡・西新町)
1878年(明治11)自由民権運動に目覚め、向陽社を設立
1885年(明治18)神戸で金玉均と出会う
1892年(明治25)選挙干渉に協力
1897年(明治30)孫文と出会う
1912年(明治45)辛亥革命後の中国へ渡る
1915年(大正4) ラス・ビハリ・ボースと出会う
1924年(大正13)「大アジア主義」演説の前日、神戸で孫文と会談する
1926年(大正15)亡命中の蔣介石を匿う
1944年(昭和19)10月、御殿場にて死去(享年90)