かつての海岸線だった製塩所跡
南区の塩原までやってきました。こちらは塩原中央公園です、ここから近くを通っている日赤通りを、1キロほど南に行くと大橋地区ですね。

実は中世の鎌倉時代頃にはこの辺まで入海で、塩原という地名は製塩所があった事に由来しています。

地名については筑前国続風土記拾遺にも記載があるので転載します。
塩原村
民居は本村 枝郷潮煮塚 小森 沖田等に在。むかし此辺まで入海来りし故に今も塩原 潮煮塚等の名あり。村の東北に那珂川あり。川上ハ三宅 井尻両村の間より流れ来り、末は清水村抱にいる。
筑前国続風土記拾遺 巻之十二 那珂郡 利

かつての製塩所は潮煮塚と呼ばれていました。その痕跡を示す石碑が公園の一画に建てられています。

裏面には由来と鎌倉時代の地図まで彫りこまれていて、郷土史を学ぶことができるようになっていました。市役所の方グッジョブです。ただ、ちょっと地図が分かりにくいのでカラーのものを載せておきます。

こちらは住吉神社に保管されていた博多の古図です。住吉大明神とかかれた場所の右上に蓑島(現在の美野島)、さらにその上に汐原(塩原)と潮煮塚の文字がみえますね。他にも住吉神社の右側に容見天神とありますが、これが現在の今泉のあたりになります。

今の地形からは、かつてここが海岸沿いだったとは信じがたいですね。九州一の繁華街になっている天神も、かつての入海を埋め立てた場所だと思うと、博多の発展ぶりを体感できます。