崇福寺を訪ねて ― 志士たちが眠る博多の禅寺
黒田家の菩提寺として
福岡市博多区千代にある臨済宗大徳寺派の古刹・崇福寺。
「救賢萬年 崇福禅寺」と刻まれた石碑が立ち、訪れる人を迎えます。かつて黒田家の菩提寺として栄え、今も「西都第一禅林」と呼ばれる格式を誇ります。
歴史を物語る山門

静寂の境内

松並木が続く参道は、禅寺らしい端正さと静謐さに包まれます。境内には石仏や祠があり、都会の真ん中とは思えない落ち着きを感じました。
志士たちの墓碑
境内奥の墓地には、近代史に名を刻む人物が眠っています。

ひときわ目を引くのが、牛にまたがった 高場乱像。
医師として貧者を救い、教育者として頭山満らを育てた人物です。彩色された銅像は、梅の枝を手に穏やかに微笑み、後進への思いを託しているようでした。
近くには「高場先生之墓」もあり、門下生たちの敬慕が刻まれています。

アジア主義の旗手として知られる 頭山満 の墓もここにあります。


玄洋社墓地の一角には、来島恒喜(くるしまつねき) の殉節を記した碑が立っています。
「明治廿二年十月十八日於東京殉節 自刃 行年三十一」と刻まれ、1899年、大隈重信暗殺未遂事件を起こした後に自刃した彼の壮絶な最期を伝えています。
玄洋社顕彰碑

さらに昭和19年には「玄洋社顕彰碑」が建てられ、戦時下にも志士たちの記憶を後世に伝えようとする思いが刻まれました。
最後に
崇福寺は黒田家ゆかりの古刹でありながら、近代日本を形づくった志士たちの墓所でもあります。
高場乱、頭山満、来島恒喜――名を刻む墓碑や銅像に立つと、博多が近代史に果たした大きな役割を改めて感じることができました。