糸島の豪族・原田氏ゆかりのお社

JR加布里駅に繋がる長野川沿いの道を歩いていると、橋の先に鳥居が目に入ります。東正八幡宮です。

この橋自体が参道になっているようですね、川を外堀にみたてているのかも。なかなかの格式を感じます。

この辺はもう黒田藩の西境を超えているので、筑前国続風土記などにも記録がありません。

神社の入口がみえてきました。村社と彫られた石柱が建てられています。この土地の産土神で、昔からこの辺一帯の中心的な場所なのでしょう。

御由緒がありました、とても助かります。創建はなんと応和年間、村上天皇の頃なので平安時代ですね。千年以上の歴史を誇る古社です。

こちらのお社を勧請したのは、征西大将軍原田春實公とあります。この原田春實は瀬戸内海にて発生した天慶の乱(藤原純友の乱)を鎮圧した大蔵春実の事ですね。春実はこの功績で大宰大監に叙任されて九州に赴任しています。

春実はその後、大宰府に近い筑前御笠郡基山、現在の福岡県筑紫野市原田に居住するようになって、以降原田と称するようになります。そして怡土郡の荘園の一つに原田氏が領する「原田庄」があり、息子の原田泰種が自領の守護神として勧請したのがはじまりです。

その後、親子は京都へ戻りますが、一族の一部は残って筑紫の豪族となりました。子孫の原田種直は、源平の戦いでは平氏方として安徳天皇を護りながら、壇ノ浦の戦いで源義経に敗れています。源氏に囚われて鎌倉で十三年を過ごしますが許され、御家人として筑前国怡土庄の地頭に任じられました。

種直は無事に御家人として九州に戻れた事を御神徳だと感じ、隠居して息子に家督を継がせると、この八幡宮の横に邸宅を設けて仕えました。このお屋敷は原田の館屋敷と呼ばれ三千坪あったそうですが、今はほとんど畑になっています。

ちなみに種直は妻の父、つまり義理の父にあたる平重盛の菩提を弔うために、二丈に龍国寺も建立しています。平重盛は平清盛の嫡男です。種直はかなり平家の中枢にいたようですが、よく罪が許されたものですね。

この種直のお墓はすぐ近くにあると書いてあるので、参拝後によってみたいと思います(続く)

投稿者

mokudai

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