まちの真ん中に残る“丘のお城”へ

アニョハセヨ。
今回は韓国・釜山に出かけてきました。
海と山が近く、にぎやかな街並みのすぐそばに、意外なほど静かで歴史深い場所が残っている——
それが今回訪れた 釜山鎮城・子城台倭城です。
そこは、朝鮮王朝が築いた「釜山鎮城」と、
文禄・慶長の役で日本軍が築いた「子城台倭城」、
二つの城の歴史が重なる、珍しい場所でした。
釜山の中心街からバスに揺られ、ほどなくして到着したバス停。高層ビルが立ち並ぶエリアのすぐそばに、こんな歴史遺構が残っているとは少し意外でした。

バス停から細い路地に足を踏み入れると、
洗濯物の揺れる音や、お店の呼び込みの声が混じり合う生活の気配。
その奥で、突然スッと城壁が姿を見せます。
現代の街並みの中に、いきなり中世が割り込んでくるような感覚で、
思わず足を止めました。
■ 朝鮮王朝の防衛拠点「釜山鎮城」とは?
釜山鎮城は 15世紀に朝鮮王朝が築いた軍事拠点。
倭寇の襲来を警戒し、港の防衛のために整備された城です。
■ では“子城台倭城”はどこにあるのか?
ここからが今回のポイント。実は、
釜山鎮城の丘の“上部”には、日本側が築いた「子城台倭城」が残っています。
・時代は 1592(文禄の役)
・築いたのは 豊臣秀吉配下の諸将(加藤清正・小西行長が関与したと伝承)
・目的は 朝鮮侵攻の軍事拠点
・構造は “完全に日本式の石垣”
つまり、
下層に朝鮮王朝の城、上層に日本の倭城が重なっている
という珍しい二重構造の城なのです。

立派な門構えがまちの中にひょっこりと残っています。
ここは「西門(금루관/金壘館)」と呼ばれる城門。
釜山鎮城は、倭寇の襲来に備えて15世紀に築かれ、
のち文禄・慶長の役を経て、さらに朝鮮通信使の往来など
歴史の舞台となった場所でもあります。

案内図を見るとよくわかるのですが、丘そのものが城なんですね。

門をくぐると、すぐに階段。
公園感覚でジョギングしている地元の方も多く、
生活と歴史が溶け合っている感じがとても釜山らしい。

丘の上へ進むと、朝鮮式とは明らかに異なる 日本式の石垣 が現れます。四角く加工された切石、
段を水平に揃えた積み方、隅を強化する算木積み——
これらはすべて文禄・慶長の役の際に日本軍が築いた 子城台倭城 の名残です。釜山鎮城の丸石の石垣と比べてみると、文化と技術の違いが一目で分かります。一つの丘の中で、朝鮮と日本、二つの石垣が並存している。その“重なり”こそが、この城跡の最大の魅力でした。