引き続き浅草寺を参拝しています。宝蔵門を抜けるといよいよ本堂がみえてきました。戦後、浅草寺の本堂は1958年に再建され、今日に至る姿となります。

焼失した伽藍を再建しつつも、浅草の街は戦災から立ち直り、再び東京を代表する観光地として復興しました。現在では年間約3000万人以上が訪れるともいわれます。

本殿に向かって左手にあるのが有名な五重塔です。天慶5年(942年)平公雅が塔を建立したもので、最初は三重塔でした。その後焼失を繰り返したのち、慶安元年(1648年)に五重塔として建立されました。

現在の塔は昭和に入って建て直したもので、鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルあります。

他の寺社に比べて「凶」が出る確率が約30%と高いことで有名な、浅草寺の凶悪おみくじ。怖いので絶対買いません。

境内には常香炉(じょうこうろ)と呼ばれる大きな香炉があります。この煙を身体の悪い所にかけると治るという言い伝えがあるので、常に人が群がっています。

お水舎です。手水鉢の上に、かつて本堂裏にあった噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像が祀ってあります。

本堂の向拝には「志ん橋」と書かれた大提灯がかかっています。東京大空襲で焼失した本堂が再建された1958年(昭和33年)から、東京新橋組合により奉納されているものです。

本堂の厨子の中に安置されている御本尊は聖観世音菩薩で、勝海上人によって「秘仏」と定められました。住職でさえも拝観を慎む「絶対秘仏」とされています。

江戸三十三観音札所の一番札所に指定されています。江戸時代に西国三十三所巡りを模倣した観音霊場巡礼が流行しました。坂東三十三観音は、源頼朝が制定したもので、より歴史の古い巡礼になります。

浅草寺は天井絵も有名なので、参拝した際は是非上を見上げてみてください。

川端龍子画「龍之図」、堂本印象画「天人之図」などが描かれています。

御札や御守の授与所は意外にも近代的な感じでした、中の人は当然英語が話せるんでしょうね。みたところお客さんの8割以上が外国人ですから。

修学旅行生の集団をみかけてホッとしました。やはり東京観光の大定番ですよね。

ちなみに本堂前の広場は、滝廉太郎作・童謡「鳩ポッポ」の舞台でもあります。そのため「鳩ポッポ」の歌碑 が境内に置かれています。

本堂の東側に東向きに建っているのが、切妻造の八脚門である二天門です。元和4年(1618年)の建築で、第二次世界大戦にも焼け残った貴重な建造物で重要文化財に指定されています。

全国でもトップクラスの参拝者数を誇る、東京観光の顔ともいえるお寺だけあって、見どころが沢山ありました。次に浅草にきた時は、芸能の歴史が詰まっている浅草寺周辺の六区界隈にもお邪魔したいです。