勤王歌人・野村望東尼が眠る

博多区にある明光寺にやってきました、駐車場が非常に広々としています。

駐車場の中にも供養塔などが点在しています。もうお寺の敷地の中という認識でよさそうです。

一応立派な山門もあり、山門をくぐってからが本当の境内でしょうね。それにしても広い。

山門の横には石碑と案内板が建てられています。

実はこのお寺、野村望東尼の墓と栄姫の遺髪供養塔があるのですよね。それを目的に訪れる人も多そうです。

駐車場には立派な鐘楼もありました。

奥の方に三界萬霊塔と書かれた石碑、なんの石碑だろう??

さて、山門をくぐって中に入ります。さて、どちらへ行こうか。

神仏習合の名残か、お稲荷さんがお寺の中にあります。

なんか色々な所にお地蔵さんとか祠が点在している感じです。

こちらは毘沙門天を祀ってあるようです、お寺なのに鳥居か。

色々みていると奥にあるお墓エリアに辿り着きました。

野村望東尼(のむら ぼうとうに)の墓

このお寺の見所の一つが、幕末の女流歌人・勤王家として知られる野村望東尼(のむら ぼうとうに)の墓です。

望東尼は筑前国出身の歌人で、和歌を通じて尊王攘夷思想を表現し、高杉晋作や平野国臣ら志士とも交流を持った人物です。弾圧を受け、姫島への流刑という過酷な運命を辿りながらも、信念を失わず生涯を貫いた女性として知られます。詳しくは以前に特集を組んだのでこちらをご覧ください

望東尼の墓は、華美なものではないですが、その簡素さがかえって彼女の生き様を物語っている感じで良いですね。

男性中心に語られがちな幕末史の中で、思想と行動をもって時代に向き合った一人の女性の存在を、今に静かに伝える史跡です。

栄姫の遺髪供養塔

続いて、お墓エリアの奥の方にある、栄姫遺髪供養塔へ。

栄姫は初代・長政公の正室で家康の養女です。徳川と黒田という二つの有力家を結ぶ政略結婚の当事者であり、福岡藩成立の背景に欠かせない存在のお姫様ですね。

彼女の遺髪がこの地に納められ供養されていることは、明光寺が武家社会とも深い関係を持っていたことを示しています。

表舞台に立つことの少なかった女性たちの存在が、こうした形で歴史に刻まれている点は見逃せません。

説明版には筑前国続風土記の写しを用いて、なぜこちらに遺髪があるのかが説明されています。

明光寺は筑前国続風土記拾遺でも八巻で大きく取り上げられています。1ページあるので重要な部分だけを抜粋して載せましょう。

明光寺

~十四世生雄宗誕和尚富寺再興の志願を発し、寛永五年忠之公及照福院君 大涼院君の御助成によりて佛殿を再興せり。故ニ宗誕を以富寺中興開山とし一派の觸頭たり。~

筑前国続風土記拾遺巻之八 博多寺院上目録


明光寺は南北朝時代の永徳年間の開山とされる曹洞宗の寺院ですが、戦国期に一度廃寺になりかけて、江戸期に忠之公の助力で復興したようですね。

その後も黒田家からの手厚い保護を受けたようです。もとは博多の蓮池町にありましたが、明治期にこちらへ移転しています。

境内も広く、見どころもあって良い参拝になりました。

にほんブログ村 写真ブログ 地域の歴史文化写真へ にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
記事が参考になりましたら、こちらのボタンをクリックお願いします。
投稿者

mokudai

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です