―長府の古刹と幕末の気配―
前編では、功山寺挙兵について書いた。今回はその舞台となった功山寺そのものを歩いてみたい。

下関市長府にある功山寺は、鎌倉時代に創建された古刹で、国宝の仏殿を持つことで知られている。幕末史の舞台として有名だが、寺そのものの歴史や建築もなかなか興味深い。

まず目に入るのが山門である。重厚というより、どこか端正な印象の門だ。軒の造りを見上げてみると、細かな木組みが見事に組み合わされている。古い寺院の建築を見ると、ついこういうところを覗き込んでしまう。

境内の中央に建つのが功山寺の仏殿。は鎌倉時代の建立で、国宝に指定されている。屋根の反り方や柱の配置が、いかにも禅宗様建築らしい。

扉の格子越しに、そっと中を覗いてみる。暗い堂内の奥に、仏像が安置されているのがわずかに見えた。もちろん中には入れない。格子越しに見える程度だが、それでもこの建物の長い歴史を感じるには十分だった。

境内の奥へ進むと、石段の先に「毛利家墓所」と刻まれた石碑が立っている。ここには毛利家の霊廟がある。石段の奥に霊廟が見える。境内のにぎやかな場所とは違い、ここは空気が少し落ち着いている。

寺のはしっこまで歩いてくると、視界の先に奇妙な形の塔が見えてきた。丸く盛り上がった土の塚の上に、石の塔がすっと立っている。遠目には、どこかモスクの塔のようにも見える。近づいてみると、これは万骨塔と呼ばれる供養塔だった。塚の周囲には無数の石碑が積み上げられている。

石碑をよく見ると、形も大きさもばらばらだ。どうやら全国の有名・無名の勤王の志士の名を刻んだ石がここに集められているらしい。塔の正面と思われる場所には、東京都の志士の名が刻まれた石があった。ぐるりと回ってみると、裏側には京都の志士の名も見える。
塚には「一将功成って万骨枯る」と刻まれた碑も置かれている。一人の将軍が功績を立てる陰で、数多くの兵士が犠牲になっているという意味だという。なんちゅう、恐ろしくリアルな言葉を書くのだ……。

この塔の無名の士たちには申し訳ないし、こんなことを言ったら怒られそうだが――少なくとも、自分はその“万骨”――歴史の養分になるのは御免だな、と思った。
……が。帰宅後、石碑に刻まれた名前を調べてみると、意外にも人物の記録がちゃんと出てくる。これ、むしろ全員が「一将功成って」の側じゃないかと思えてきた。
どうやら無名だったのは――自分のほうだったらしい。