大陸文化をもたらした南宋貿易と貿易港博多
博多に所用があり、承天寺へ寄ってみました。承天寺(じょうてんじ)は鎌倉時代に円爾(えんに)を招聘して創建されたお寺です。創建当時の博多は貿易港であり、大陸文化の受け皿になっていました。宋から帰国した円爾が建てた承天寺は、様々な発祥の地として知られています。うどん、蕎麦、饅頭など様々な文化が、ここ承天寺から広がっていきました。
お寺の創建費用は日宋貿易で活躍した貿易商、謝国明が援助したそうです。南宋の商人ですが日本人妻がいて、博多の商人や筥崎宮・太宰府などからも信任が厚く活躍していたようですね。創建後には野間・高宮・平原の土地を購入して、寺領として寄進した記録が残っています。この人、宗像大社と喧嘩したり色々と面白い逸話が残っているので、別の機会に取り上げます。
境内には歴史的な文化財がゴロゴロしていました。清寧11年(1065年)に作られた朝鮮の鐘がある鐘楼。残念ながら中はみれませんでした。
モンゴル軍の船の碇として使用されたと伝わる石、こちらも「蒙古碇石」として、福岡県の文化財に指定されています。
博多の祭りの代名詞、博多祇園山笠の発祥の地でもあります。博多で疫病が流行った折、お供え物を置く施餓鬼棚(せがきだな)に円爾和尚を乗せて町人が棒で担ぎ、病魔退散を祈祷して、聖水を撒きながら町中を巡りました。このことが博多祇園山笠の始まりとされています。
下編へ続く。