下級藩士の町から生まれた反骨の雄弁家
昭和通りを歩いていると、鳥飼八幡宮の境内の一角に威風堂々とした存在感で大変立派な銅像が経っています。この銅像の人物は中野正剛。鳥飼八幡宮のある旧西町出身で、ジャーナリストから国会議員へ転身し、第二次世界大戦中に当時の首相、東條英機を堂々と批判して反目した大政治家です。
銅像の隣の石碑、揮毫は副総理まで務めた緒方竹虎。修猷館の学生時代から共に歩んできたまさに盟友ですね。
中野は大変な雄弁家で、演説をすればどこでも超満員。早稲田大学で東条英機を批判する演説を行い、そのカリスマ性は学生たちを熱狂させ、会場には早稲田の校歌「都の西北」が沸き上がる盛り上がりだったそうです。憲兵たちが中野の演説を妨害しようとしていたが、あまりの学生たちの熱気に妨害出来なかった逸話が残っています。この時の学生の中に後に総理大臣になる竹下登もいて、中野の演説に感動して政治家の道を志したそうです。
東条英機は特高警察に依頼して、無理矢理に身柄を拘束するいわゆる中野正剛事件を起こしますが、世論の反発をうけしぶしぶ釈放。その後、軟禁状態の自宅で中野は割腹自殺を行いました。自殺の理由は諸説あり、未だにはっきりと分かっていません。
それにしても鳥飼八幡の周辺、旧西町界隈からは、同時代に綺羅星の如く人材が湧き出ています。郷土の偉人を周知することもブログをはじめた動機なので、なるべく足跡を追いかけたいと思います。