島津軍との激戦の舞台となった大友方の山城

太宰府市の岩屋山にある岩屋城に行ってきました。
この岩屋城は天文年間(1532年~1554年)に 大友氏の筑前5城のひとつ宝満城の支城として築城されました。築城主は高橋鑑種と伝えられています。

「筑前三笠郡岩屋城図」かなり正確に描かれてるそう
高橋紹運
「大友家の風神」高橋紹運像。立花宗茂の実父です
大宰府政庁趾から本丸を目指しました
登山口
よく整備されてて歩きやすいです

登山口から20分ほど歩くと、紹運のお墓がありました。
2万とも5万とも云われる軍勢でお城を取り囲んだ島津は再三、降伏勧告を出しますが、紹運は断固拒否。
14日間におよぶ激闘のすえ、763人の城兵は、ことごとく玉砕。 紹運も自害して果てました。

筑前三笠郡岩屋城図にも描かれています
紹運の墓(胴塚)。
岩屋城戦没者之碑

墓から3分ほど進むと、林道に出ます。
この林道を横切ったところに本丸入口があります

写真左手の案内版のそばが入口です
本丸入口

ここから3分ほど進むと岩屋山頂上、すなわち本丸跡に到着しました。

本丸趾
「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑。昭和30年に紹運の家臣の子孫によって建てられました

山頂からの視界180度ほどあり、太宰府市の街並みが一望できます

山頂からは脊振山や油山も確認できます



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