筑前國続風土記に記された探題城

福岡市西区役所で姪浜周辺のガイドマップをみていたら、気になる史跡があったので行ってみました。

山というより丘程度の標高

ガイドの解説には「室町時代、探題渋川尭顕が城を構えたところで、頂上に毘沙門天があります。この像は自然積石の平板に三神体を線彫刻した線刻描画拓影と呼ばれる珍しい形式のものです。」とあります。地図を頼りに現地にいってみました、場所は姪浜漁港と川を挟んで向かい側。

対岸が漁港なので周辺は漁師町

貝原益軒の『筑前國続風土記』巻之20 早良郡上にそれらしき記述がありました。

「浦山の西に山有。上に城址有。興雲寺山と云。是渋川探題の城也と云。後は斯波左京太夫住せり。上に毘沙門堂あり。其西なる山を丸隈山と云。」

渋川探題は、足利家の一門で代々九州探題を世襲してきた名門一族ですね。斯波氏も渋川氏より前に九州探題を務めていた記録がありますが、その頃にできた城ということでしょうか。九州探題で斯波性は一人だけなので、斯波氏経(任:1361年 – 1365年)の事ですね。この人は足利尊氏の家来です。

がけ崩れ防止の金網だらけ

現場に到着したのは良いものの、入口が見当たりません。しかし頂上付近に鳥居らしきものがチラ見しています。どこかから登れるはず。

この梯子はなんだろう?

ウロウロと周辺を探っていると、こんなところに元寇防塁発見。が、石垣は見当たりません、おそらく地中に埋まっているタイプでしょう。

元寇防塁の草原を抜けて、山の西側からアタックしてみましたが、断崖があるだけでした。北側は道路になっているので入口はありません。

鬱蒼とした森

一周してみましたが、入口らしきものは見当たらず…唯一あるのは民家に続いているような階段のみ。え?まさかこれなのか…??

どうみても民家用の階段にしかみえないのですが・・・

これでした。登ると上まで階段が続いています。しかし、しばらく人が入っていないのか草が茂って、蜘蛛の巣だらけです。

草をかき分けながらとにかく登る、もう後には引けません。ひたすら登る。

蜘蛛の他にもスズメバチが(泣)

ついに鳥居にたどりつきました!奥には毘沙門天様の祠が。残念ながら閉じられていたので中は見れませんでした。そのままお参りしました。

勝手に開けて良かったのかも

隣に石碑が立っていました、寄付の記録みたいですね。昭和49年とあるので、半世紀前までは信者が結構いたようです。

本来なら見晴らしが良い場所なのでしょうが、とにかく草木が茂っていて景色がみえません。手を伸ばしてなんとか東側だけ撮影。

西側は、木が茂りすぎていてほとんどみえない感じでした。木がなかったら糸島方面までみえるでしょうね。

うっすらみえているのが小戸公園

しかし、本当にここにお城があったのか疑問です。登ってみましたが、ほとんど平なスペースがないので、あったとしてもかなり小規模なものだったのでしょうね。一般的に連想するお城ではなく、出城というか見張り台のような役目の館だったのではないでしょうか。地名から考えると、元々はお寺だったものを改造してお城にしたのかもしれませんね。

このお城の築城時期が元寇襲来からそれほど時間が経過していないので、九州探題として3度目の襲来を警戒していたのかもしれません。真横に防塁がある事とも関係しますね。

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