大村藩2万7000石の居城
天気が良かったので、ちょっと大村市にある玖島城に行ってきました。
この地を治めていた大村喜前が朝鮮出兵の際に使用した順天城を参考にして築城しました。順天城は三方を海に囲まれており、玖珠城も大村湾に突き出した半島の先端に築かれました。
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大手門から登るとすぐ、穴門がでてきます。ここは空堀から大手門に抜けるためにつくられたのだとか。
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さらに進むと二の丸跡が現れます。二の丸の奥にある板敷櫓へと歩を進めました。
大手門から見えた櫓ですね。玖島城は1616年に大改修が行われ、その時に大手門と板敷櫓へ延びる石垣が築かれました。大改修時にあたっては、城造りの名人・加藤清正に助言を求めたのだとか。
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次はお城の南側の台所門に向かいました。
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門を通ると本丸跡です。面積は2861坪ほどのほぼ四角形です。
さきほどの台所門のほか北に搦手門、西に虎口門の3つの門があります。天守閣はつくられず、東側が藩主の居館でした。
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吹いてみましたが、うまく鳴りませんでした
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現在は大村公園となっており、ボートレースのエンジン音がたまに聞こえてくるだけの、静かなところです。石垣が見事で、城の規模も大きく、大村藩は2万7000石ですが、石高の割に立派なお城ですね。しかし、明治維新後、1871年の廃城令では廃城処分となり、建物は破却されました。