博多の風物詩だった大八車の水売り
福岡県庁近くの東公園に古い小さな井戸があります。この井戸は「松原水」と呼ばれ、上水道が整備される大正時代まで博多の人達の暮らしを支えていた井戸です。
かつてこの辺一帯は「千代の松原」と呼ばれ、「筑前の八松原」とも称えられた広大な松原でした。こちらの松原は名島城が豊臣家の直轄統治だったころに石田三成によって保護されました。現在はかなり松の木が減ってしまいましたが、かつては筥崎宮から博多部まで松林が続いていました。
説明書きがあったので転載します。
松原水について
「明治初期、まだ井戸水を利用していたころ、博多部の井戸は水質に恵まれず、そのため飲料水は当時の那珂郡千代村一帯(現在の博多区千代付近)に続く松林(千代松原)の砂地から汲む井戸水を運んでまかなわれていた。これも次第に建て込む人家の家庭汚水で利用できなくなってきた。そこで明治29(1896)年、福岡市は、飲料水確保のため千代村堅粕(現在の博多区東公園)の東公園内の国有地約1アールを年間1円8銭で借り受け、工費50円で市設の井戸を掘った。これが「松原水」の起こりである。
明治34(1901)年には、福岡市による「市設井戸取締規程」が定められている。井戸には看守を置く事、汲む者は給水許可証を携帯すること、料金は1石(180リットル)に10銭宛などと細かく規定して本格的に管理された。
このようにして、業者も水桶12個積んだ大八車をガラガラ引いて、戸別に配達したため、上水道通水(大正12年)まで、松原水売りは博多の風物詩であった。
なお、明治33(1900)年皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が来福の際、飲料水として使われ、記念の石碑が傍に建っている。 福 岡 市」
大八車の水売りとはなんとも風情のある風景ですね。こちらの井戸水は良質で、甘露の水と称えられるほど評判が良かったようです。それにしても、博多の生活水をこの井戸だけで賄っていたとは、今の人口密度からはちょっと信じがたいですね。
現在は柵で囲まれている為、しかし中を覗くことはできません。
手を伸ばして撮ってみましたが、水らしいものは確認でいないですね。
大正天皇の御料水
説明書きにあるとおり、明治時代に大正天皇が皇太子だった頃に来福して、こちらの水が使われました。
飲料水に使われただけですが、石碑まで建てられています。これだけでも当時の天皇家の御威光が分かりますね。