小城鍋島家の屋敷跡

天気が良かったので、ちょっと小城陣屋跡に行ってきました。
鍋島3支藩のひとつ小城藩の陣屋です。

小城藩は7万3000石と比較的高い石高ですが格式は無城格で、その屋敷は陣屋や館と呼ばれていました。陣屋は廃藩置県後の1882年に解体されており、正門前の石橋くらいしか遺構はありません。現在、跡地は小城公園として整備されています。

正門前の石橋

正門付近には藩校・興譲館跡があります。1784年の文武稽古所をはじまりとし、7代藩主・直愈の時に興譲館となりました。生徒は藩士の子弟に限られ、15歳から24歳まで寮に入り、学問と武術を学びました。食事代は藩が全額負担。次男以下も入寮することはできましたが、その場合は食事代は半額を支払う必要がありました。授業は午前6時~午後2時までと日没から午後10時まで行われたそうですから、かなりハードですね。

興譲館跡

ほとんど遺構がない小城陣屋跡ですが、公園内には鍋島家ゆかりの岡山神社と烏森稲荷神社が鎮座しており、また、その周辺に数多くの記念碑が建っいます。
岡山神社は初代小城藩主・鍋島元茂と二代の鍋島直能を祭神とする神社です。元茂は佐賀藩初代藩主・勝茂の長子で学問に秀で、剣術も柳生宗矩から印可書を一番に与えられたほどの腕前でしたが、廃嫡され本藩を継ぐことができませんでした。廃嫡の理由は父・勝茂の再婚相手が徳川家康の養女だったため、再婚相手との間に生まれた子を跡継ぎにしようとしたためだと云われています。しかし、この勝茂と再婚相手との子供・忠直は佐賀藩主の座を約束されていましたが、家督を継ぐこと無く病で早世しています。

岡山神社

烏森稲荷神社は岡山神社の境内末社で、3代藩主・元武によって創建されました。案内板には江戸屋敷内に奉祀されていた「烏森稲荷」を遷宮し、宮島武蔵によって勧請されたものと書かれていました。

烏森稲荷神社
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