歴史上最後の探題・渋川尭顕が眠る塚
唐津街道姪浜宿の入口から、少し北に入ると探題塚があります。貝原益軒の筑前国続風土記にも登場します。
「探題墓 – 姪浜村の東の入口の北に在小山を探題山と云。此所に墓所有。村民は探題渋川尭顕の墓所と云。石塔には椿西将軍日頭大居士と有。」
探題とは鎌倉時代に設けられた西国に置かれた広範囲な裁判権、軍事指揮権を持つ職のこと。つまりは地方の長官ですね。初代探題は北条時定、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で小栗旬演じる主役の北条義時や北条政子は従兄弟の間柄になります。※諸説あり
設置当初は鎮西奉行や鎮西守護と呼ばれていましたが、元寇以後は鎌倉幕府によって鎮西探題が設置されました。さらに室町時代に代わっても九州探題と名称を変え、足利一門が代々の探題職を務めました。そして、ここ探題塚は最後の九州探題・渋川尭顕の墓所と伝えられている場所です。
かなり急な階段が入口です、手すりは新しい。つまり石垣は整備されているのでしょうね。
境内はこのような感じ、奥にみえる鳥居は埴安神社です。さらに手前に探題塚があります。
探題塚と埴安神社を示す石板、しかしいつ頃建てられたものかは分かりません。
こちらが探題塚です、シンプルな作りですが掃除が行き届いていて丁寧にまもられています。
ところで立派な揮毫がありました、誰の書でしょうか?
探題塚の由来
要約すると姪浜一帯が外敵からの防衛ラインだった事などが書かれています。鎮西探題ならびに九州探題の場所は諸説ありましたが、最近の研究で平時は博多周辺で政務を行い、外敵が博多湾に襲来した等のみ、緊急時に姪浜近辺に築かれた城に籠って防衛するシステムだったようです。
隣にある祠は供養のためのものでしょうか?さらにお地蔵さまも並んでいました。
縄張りなどはされていませんが、おそらく御神木です。存在感があります。
埴安神社の鳥居です。残念ながら現在は参拝などはできないようです、中に入っていけないように鍵がかけられていました。
鳥居の奥の様子です、参道だったらしき道がありますが荒れています。もしかしたら鳥居しか残っていないのかもしれませんね。