前回までの話はこちらから)中島酒造場の近くに観光案内所があります。この建物は江戸時代後期に建てられたもので、宿場から宿場まで荷物や物資の中継を行う「継場」として使われていました。馬をつないだ鉄の輪がある柱や内部には宿場で勘定をする帳場、人足の控えの場などが残っています。

継場を改修した観光案内所。中も見学できます

継場の隣には洋風の建物がぽつりとあります。これは1937年に浜郵便局として建てられたものです。明治時代に入り創設された郵便制度は、継場による宿駅制度の発展系で、そのノウハウを引き継いだものでした。浜郵便局は1885年に開業しましたが、当初は継場で郵便や通信業務を請け負っていました。後に隣に建設されたのは、そんな歴史的経緯があったのかもしれません。いまは八宿公民館として使用されています。

当時流行した擬洋風建築(アーリーアメリカン調)、、、らしいです

この酒造通りに山口宗昭家住宅があります。山口家は武士の家柄だったそうで、鹿島藩士の名簿にも記録されているとか。19世紀中頃にさかのぼる土蔵造りの建物で、内部は元武士らしく格式が高い造りとなっています。今は醤油の醸造場となっています。

山口宗昭家住宅

メインストリートから小道に入ると旧乗田家住宅があります。建築年代は19世紀初期と推定され、最所家の住まいでしたが、その後に乗田家の所有となりました。

裏手に進む
旧乗田家住宅。佐賀県に多い特徴的な「クド造り」の屋根形状とか。

建物の改変が少なく、鹿島藩士の生活状況をよく伝えているとか。敷地は広く家内で養蚕を行っていたと考えられています。

旧乗田家住宅から東に進むと若宮神社があります。鳥居脇にある案内板には「カトリックのドミニコ会が肥前に初めて建てた教会跡」とあります。1607年にドミニコ会修道会は肥前に最初の教会ロザリオの聖母堂を建て、追放される1613年まで布教活動を行ったとか。

若宮神社の創立年代は不詳ですが、1494年には大村貴純が非業の最期を遂げた一族の家有を悼み、若宮社の相殿に家有の霊を祀ったそうです。

見どころの多い肥前浜宿。次回は茅葺き集落や、まだまだある酒造場を紹介します。