討幕運動に敗れた菊池武時の首塚
護国神社の道を挟んで向かい側に、中に鳥居が建てられた小さな公園があります。
この場所は、鎌倉幕府討幕を企てて失敗した、肥後の豪族・菊池武時が首を落とされたのが、ここ馬場頭(現在の六本松)だと伝えれています。
菊池一族の多くが討ち取られ、犬射馬場(現在の祇園駅付近)で晒し首なった記録が残っています。この時の晒し首の頭蓋骨は、福岡市営地下鉄の工事の際に出てきたそうです。菊池武時の首はこちらへ葬られ、そのまま首塚になりました。
菊池武時は倒幕のパイオニアで、幕末の維新志士達の間では人気がありました。明治35年、明治天皇は菊池武時の霊に従一位を贈り、記念碑が建立されています。
そして没後600年祭では地域住民の力により、墓と鳥居が建てられました。
菊池霊社と名付けられたこちらのお墓では、毎年亡くなった3月13日に年忌法要祭が行われています。
隣に小さな石碑がありました、従者の方でしょうか?
こちらは手水舎のあとかな?現在は使われていません。
公園横に謎の石柱がありました、もしかすると門跡?「死」「妖」「気」という漢字が彫られていて、上に家紋のようなものがみえます。
菊池武時の首は六本松で落とされてしまいましたが、遺体を乗せたまま馬は走り続け、七隈の辺りで力尽きて落馬しました。そちらには胴塚と菊池神社が建てられています。