勝海舟生誕の地

忠臣蔵の舞台をめぐってみようということで、いよいよ討ち入りの場所、両国の吉良邸へやってきました。

道しるべを辿っていると、あれ?勝先生の名前が!!

なんと勝海舟の実家は、吉良邸から200mほど離れたご近所さんだったのですね!したがって時代は大分違いますが、この辺は幕臣の人たちが多く住んでいた地域のようです。

現在は完全に公園になっています。この辺で野良犬に金玉を噛まれたのでしょうか。

公園の一角に勝先生の展示コーナーを発見!完全野ざらしですが、かなりしっかりと生い立ちが展示されていて、そして記念写真まで撮れるようになっています(刀つき)

明治維新後も多くの弟子達が活躍した影響力のある人だったので、立派な石碑が建てられています。

囲碁の名門・本因坊家

そして、勝海舟生誕地の近所には本因坊秀作の屋敷跡が!ヒカルの碁で一躍有名になった、史上最強の棋士。勝先生とは同年代で同じ幕臣なので、顔なじみだったのですね。本因坊秀策に憑依していた藤原佐為に主人公が碁を習い、強くなっていくストーリーでした。

今度は鬼平犯科帳ゆかりの和菓子屋さん発見!両国は色々な歴史に出会えて、歩くだけで楽しいです。

御首級(みしるし)頂戴つかまつる

さて、ついに来ることができました。忠臣蔵討ち入りの現場吉良邸です。当時はこの辺一帯が吉良邸で、かなり大きな屋敷だったようです。

突入の際、赤穂浪士達は隣の幕臣宅への断りを入れます。

「我等播州赤穂浅野内匠頭元家来。亡き主君の無念を晴らさんがため討ち入りに参上いたしました。騒動に及びまするが、武士は相身互い、何とぞお構いなきよう。」

隣に住む旗本の土屋主税「心得た」とだけ返答し、塀に高張提灯をいくつも掲げて明かりを提供する。忠臣蔵でも有名なシーンです。

外壁に公園の由来書きがあります。当時の屋敷の広さは、なんと二千五百坪以上!流石、名門家だけあって、広いお屋敷に住んでいたのですね。

忠臣蔵ファンが多数訪れるのでしょう、墨田区の立派な観光資源ですね。

吉良上野介公の人形がお出迎えしてくれます。第一に金に汚く、さらにいじめが酷かったと同時代の人たちの証言や記録が多数残っているので、イメージ通りの人だったのでしょう。

こちらはお墓ではないようです、慰霊碑のようなものでしょうか?

みしるし洗いの井戸

うわぁぁぁぁぁぁぁ、エグイ!首を洗った井戸がそのまま残っていました。

現在はこじんまりとした公園になっています。しかし、本来はこの敷地の86倍だった事がかかれています。それにしても古地図でみると本当に大邸宅ですね。

吉良家の家臣の方の慰霊碑もありました。当然ながら吉良家はこの後没落していくので、家中の方は大変だったでしょうね。

松坂稲荷大明神です、吉良邸討ち入りの後、清めの為にこちらに遷座されています。

赤穂浪士休息の地

吉良邸を出て、隅田川方面に行く途中に赤穂浪士達が休憩した場所があります。討ち入りで死人は出ませんでしたが、自爆して捻挫した人と、池に落ちて刺された人がでました。泉岳寺までは距離があるので、激戦の疲れを癒して体制を整えたのでしょう。

主君の眠る泉岳寺までは徒歩で2時間ほどですが、両国橋は使わず、他の大名に合わないように裏道を通って引き上げたそうです。

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