「歴史と文学の道」を歩く

佐伯城下町を散策してみました。
歴史資料館そばには明治時代に入り、毛利家の屋敷の一部となった毛利家御居間があります。13代当主・高範子爵が1893年から1907年まで暮らしました。建物は1890年に建てられたとされており、昭和13代当主・高範子爵が1893年から1907年まで暮らしました。

市指定有形文化財の毛利家御居間。1975年に建て替えられました。
井戸跡

毛利家御居間から三の丸の櫓門に向かいます。ここから佐伯氏の菩提寺である養賢寺までは「歴史と文学の道」として国の「日本の道百選」に選定されています。城山の麓に沿って続く700mほどの通りで、かつては上級武士の屋敷が建ち並んでいました。

真っ直ぐな道ではないのは防御上の理由でしょうか

櫓門から150mほど歩くと、少し進むと薬医門があります。武家の門には2階建ての櫓門と、平屋建てがありました。櫓門は最高格式の門で、平屋建ての門のうち、薬医門が最も格式が高いとされています。

薬医門

さらに約100m先、歴史と文学の道のほぼ半ばほどに茶室汲心亭があります。「お茶を汲むということはお客様に心を汲んで接待する」という意味で命名されたのだとか。

屋敷そばにある井戸。藩医・今泉元甫が飲み水に困っていた町の人のために私財を投じて掘ったそうです

さらに進むと国木田独歩館があります。建物は藩主の別荘「御浜御殿」を現在地に移築したものだとか。藩の重臣だった坂本家の住居として長らく使用されており、佐伯市の鶴谷学館で教師をしていた独歩が弟と共に1893年から1年余り下宿しました。

国木田独歩館。当時の屋敷を改修して2003年に開館
国木田独歩館近くにある上級武士・山中家の屋敷跡
礎石が残っています

ゴール地点には毛利家の菩提寺・養賢寺があります。初代藩主・高政が1605寝に創建しました。本堂の裏手には、歴代藩主の墓塔が建ち並んでいますが、拝観は禁止でした。残念。

養賢寺