江戸火消の大親分が創建した稲荷神社
浅草神社を参拝していると、境内の奥にさらに鳥居がありました。
末社というより、この一角だけ別の神社のようになっています。
おおー、この鳥居のお名前は!!新門辰五郎といえば、徳川慶喜とも親交の深い、江戸火消しの大親分じゃないですか!そして浅草界隈の侠客や博徒、的屋や香具師などの元締め的な存在でもありました。
勝海舟とも交流があり、娘は徳川慶喜の妾になっています。武士でもないのに、二条城の警備をしたり、鳥羽・伏見の戦いでは、大阪城から「家康縁の金扇の大馬印」を江戸へ運んだ逸話などが有名ですね。
かなり奥まったところに社殿があります。
こじんまりとしていますが、眷属のお狐様がたくさんいらっしゃいますね。
由来がありました。辰五郎の妻が重病になり、伏見稲荷神社に祈願したところ病気は全快しました。お礼の意味も込めて、こちらへ勧請されたそうです。
お稲荷さんではお約束の、鳥居の奉納ですね。この大きさなら管理しやすそう。
御神木でしょうか?周囲を固めてまもられています。
安政二年に創建されたもので、一間社流造の大変貴重なお社だそうです。
狐の絵馬が可愛いですね~。
社務所も完備されていますね、祭事の時にしか開けていないのでしょうか。御祈祷も予約制のようです。
ふと上を見上げると、年代物のお札がたくさん貼られていました。
裏にはなぜかポンプ式の井戸が。火消だった辰五郎親分にちなむものでしょうか?